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東京中心主義

「東京中心主義」の男だった。過去形。


日本の首都は東京、東京は日本の中心。決して揺るがない私の持論だった。

東京は流行の中心だ。渋谷で、原宿で、銀座で、新宿で、世界各地から集まった知性がしのぎを削り、新たな文化を発信して流行へと押し上げる。テレビや新聞を媒体に、ひとたび存在が認知されれば、日本全国に波及し一瞬で時の支配者へと姿を変貌させる。

遠く離れた福岡へその流行が届くのは約一年後。その頃には、東京ではまた別の流行が生まれている。
高校生の頃の私にとって、地元に進出してきたサイゼリヤに戦々恐々とし、同時に憧れを抱いていた記憶がある。都会が……都会が来たんだ……!!!周回遅れの哀しき坊やがそこにいた。

大学進学のために上京し、所狭しと立ち並ぶサイゼリヤを見て、自分の無知を恥ずかしく思ったのは内緒だ。


「入学式に桜」という当たり前も東京中心の文化であろう。

福岡に住むものとして、入学式に満開の桜を見た試しはない。ピークは3月27日。あとは散り際の美学が見頃ぐらいだ。
雨や風によって、木々にまばらに残る桜の花と、入学者によって踏みしめられ黒ずんだ花びらの絨毯がお出迎え。福岡の入学式はこんなもんだ。

入学式が行われる4月8日前後。桜前線が北上し、桜が鮮やかに咲き誇るこの時期こそ、東京の桜の光景である。世に広がる入学式を舞台にした作品は全て東京が舞台でないとおかしい。東京の常識は地方の非常識なのだ。

上京してそんなことに気づくうちに、私はいつしか東京に魅了された。文化の中心。国の中心。いや、むしろ日本全てのエネルギーを吸収して異常発展していくのが東京というモンスターなのだ。

これから先、成長の鈍化した日本で一強状態になるのは東京都であるという確信すら持っていた。
スネ夫的な立ち位置に憧れを抱く私にとって、東京をお膝元に、これからの人生を過ごしていきたい!と大学3年生の時に固く決意した。
なお、都の教員採用試験に落ちて、地元に戻ったわけではあったが。それでも東京への憧れは変わらず、いつか東京に戻って、国の中心で働くんだ!という思いを抱いていたことを思い出す。


あれから6年。「東京中心主義」に踊らされていたのも今は昔。様々な要因を経て、その考えはある程度間違いだったことに気づく。以下、その私見を述べる。

まず、流行の発信源に関してだが、こちらはSNSの普及により、隣の街から地球の裏側、はたまた宇宙まで、様々なところから情報の発信を行える現代。別に東京から流行を発信しなくても、全国どこだってバズる種は転がっているのだ。10年以上前とは、情報の取り入れの媒体で差が生まれている。

ただ、それでも東京発信の流行は多いし、周回遅れで地方にその流行が入ってくるのは今も変わらない。東京一強状態の片鱗はまだ残っている気がする。

それよりも私の考えを劇的に変化させたのは、大規模感染症の流行による、東京一強集中の是正である。「密を避ける」という旗印の中では、毎朝毎晩の満員乗車は最も避けなければならない分野である。
地方のエネルギーを東京が吸い続けた結果、別の形で東京の脆さが露わになってしまったのだ。

実際、東京などの首都圏から地方に移転した企業もいくつか存在する。東京にいれば全て問題なく過ごせるという「東京中心主義」は、ここ数年で儚くも崩れ去ってしまった。

先々を見据える自分の見る目も無かったのだと、いろいろな面で気付かされた日々であった。

これから先、東京に必ずしも出ていかなくて良い日々がさらに加速する気がする。しかし、これまでのツケは大いにある。

つまり、東京を盛り上げるためにエネルギーを吸われた地方たちだ。この地方が再び盛り上がるためには時間と労力が異常に必要となるはずだ。いかに地方が、自分たちのアイデンティティを取り戻せるのか。

一社会人として、その盛り上げに寄与することができたら良いなあ。

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