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車に揺られる虫の如く

走行中の車の中に一匹の蝶がいる。
多分、誤って車に乗り込んでしまったのだ。哀れに思い、窓を開けて外に放つ。一寸の虫にも五分の魂。近くには山もある。自然に返したことは間違いない。小さい生命を救ったのだ。良いことをしたと鼻高々になって、また車を走らせる。このようなことは、誰しも経験したことがないだろうか。

私の実家は山の麓に位置しており、虫も多かった。服にオナモミが付いたりすることもあった。
お盆の時は朝からひとしきり外で遊んだ後、すぐに祖父の家に帰省するために父親の愛車に乗り込む。車に揺られ1時間半。
到着後、軽く伸びをして降りようとすると、決まって小さな虫が出てこようとしていた。
虫だ!そんな時はいつも、虫に対して長旅を共に過ごしていた同志のような親しみを覚えてしまう。そこで、殺さずにそっと外の世界に逃がしてあげていた。
無駄な殺生をしないという優しさに包まれて、さぞ虫も幸福だろう。そんなことを考えながら。


しかし、果たして本当にこのような虫達は幸福なのだろうか。虫の立場になって考えてみたい。

彼らにももともと生まれ育った場所がある。
親や兄弟、つがいなどもいたかもしれない。そんな折、とにかく偶然、黒い鉄の塊の中に拉致されて、猛スピードで遠く離れた場所に移動させられる。その間、降りるチャンスはほとんどない。あったとしても、降り立った場所は少なくとも生まれ育った場所ではない。最終的には嫌が応にも鉄の塊から追い出される。

満足そうな巨大生物の表情を尻目に、来たことも見たこともない世界に放置させられるのだ。気温も異なるかもしれない。気候も異なるかもしれない。そもそも自然が全くないところかもしれない。
虫には追い出される場所に決定権がない。とにかく人間の都合にあった場所に放置させられる。そうしてその場には、遠く離れた異国の地で途方に暮れる一匹の虫が残ることとなる。果たして彼らは本当の幸福なのだろうか。


子供の頃からこんなことばかり考えていた。だから車中に虫を見かけても積極的に車から追い出すことはしなかった。
けれど、そのまま車に残しておくのも不幸なことである。食べ物は一切ない無機質な空間の中で彼らにできることといえば、人間に踏み潰されないように避けながら過ごすことと、死を迎えることのみである。

行くも地獄、帰るも地獄。車中の虫は、世界で一番運命に翻弄されている存在なのかもしれない。

実際はどうなのだろう。例えば蝶。
数刻前と風景の全く異なる場所でも、色とりどりの花々を見つけたら蜜を集めるのだろうか。あまりの環境の違いに、ストレスを感じて体調を悪化させ、全く動けなくなったりしないのだろうか。

虫の運命を考えると夜も眠れない。環境の変化に戸惑いやすい人間の価値観を当てはめると、想像もしたくないような経験を送ることになってしまう。


人間界にも同じような場面が存在する。
4月は出会い、別れの季節だ。それと共に、環境の変わる季節でもある。慣れ親しんだ環境を捨て、新しい場所で花を咲かせなければならない時もある。それが、自らに望んでいないような環境の変化であっても。
そんな時の私たちは、車中で人間の猛威に怯えるあの虫たちと同じなのかもしれない。
周囲の人の気分次第で、良い方にも悪い方にも転んでしまう。
もし、そのような変化を前にしたら。私たちはどう行動すれば良いのだろう。

今年の春はそんなことを考えてしまう。子供の頃、一度だけ車から蝶を逃したことがある。青空に消えていったあの五分の魂の気持ち、これから分かるのかもしれない。皮肉なものだけど。

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