それぞれの変化
「歌仙」
「主。…すまないね、無様な姿を」
「無理して体起こさなくていいよ、横になってて。それにそれのは私の台詞。…ごめんね、思っていたより敵進行が速かった。蛍も部隊に加えていれば―」
それは政府からの新たな指令だった。時は延享、江戸新橋に於いて敵の攻撃を確認。迅速に之を討ち、改変点を調査せよ―と。
どうやら歌仙や小夜に縁のある時代のようで、二振を主軸に調査に向かわせた。結果は上々、敵本陣を落として戻ってきたので小休憩を挟み再度出陣させた。
これが失敗だった。
本陣を落とされた遡行軍は撤退することなく、むしろ増援を以てこちらを迎え撃とうとしたのだ。歌仙たちは、丁度増援が送り込まれてきたところにぶつかってしまった。
予想外の交戦となったが部隊が散り散りになることもなく、逆に敵を蹴散らしてきたので大金星と言えるだろう。だがこちらも無傷ではない。皆、惨憺たる傷を負って戻ってきた。
すぐさま職人たちに手入れを頼み、先程漸く歌仙の番まで回ってきたのだった。
自分の状況把握能力、予測能力、指揮能力の低さに腹が立つ。
〝あの時〟なんて無駄でしかないのは解っているけれど、どうしても思ってしまう。もっと用心していれば。もっと良い装備を持たせていれば。敵を払えるだけの刃員を配していれば、もっと―
「こうして戻ってこられたから大丈夫さ。そんな顔をするものではないよ、風流じゃない」
「…もう、あんな想いはしたくない」
「ああ…だからほら、あの時も思ったけれどきみは笑っていた方がいい。人の姿なら尚更だ」
「不愛想なのは風流じゃない?」
「そう」
大切なひとたちが傷付いているのに笑えと言うのは無理な話。でも思い返せば私も同じことを言っていた。涙を流す歌仙に、笑ってと。
大切な者に笑っていてほしいと願う心に、神も人もないのかも知れない。
さすがに手入れから数時間経過しているだけあってそこそこ回復しているのか、声は思ったより元気そうだ。
けれどこうして側に座っていると治療薬のにおいを感じるし、臥せる顔色は未だ蒼い。その痛ましい姿を前に、笑顔でいることなどできなかった。
報告では歌仙が一番の重傷とあったが、彼より傷付きやすい刀剣だっていたのに、どうして。
「また、みんなを庇ったの?」
「お小夜は刀装が無くなっていたからね」
「小夜が心配してたよ、歌仙を早く看てやってって。小夜だけじゃない、倶利伽羅も言ってた」
「大倶利伽羅が?」
「倶利伽羅、群れたりするのを嫌ってはいるけど仲間を想ってないわけじゃないよ。…風流バカのところに早く行ってやれって言われた」
「…あの田舎刀め」
手入れ中の刀剣たちを見舞うのは恒例のことで、倶利伽羅を見舞うのも当然初めてじゃない。でもあんな反応されたのは初めてだった。いつもは部屋に入っただけで顔を背けられるのに、今回は倶利伽羅が寝ている近くまで漂って行ってもも、彼はただ天井を見ていた。
『倶利伽羅』
『……。』
『あと一時間で手入れが終わるって。体の方は大丈夫?』
『…俺は元々、休む程の傷を負っちゃいない。俺よりあいつのところに行ってやれ』
『あいつ?』
『あの風流バカだ』
『珍しいね、倶利伽羅が誰かを心配するなんて』
『…あいつに助けられた。慣れ合う気はないが、借りを作ったままにしておく気もない。次にあいつが出陣する時は俺も入れろ』
そう言うと、あとは『早く行け』とばかりに背を向けられてしまった。今回出陣した際に二振が何か話していたと聞くし、倶利伽羅の心に変化が表れたのかも知れない。
そんなわけで次の部隊編成も大凡決まりかけてはいるのだけど、もう一つ気になる話を聞いた。
「……歌仙」
「なんだい?」
「物凄い人見知りって本当?」
「…お小夜、言わないでくれと言ったろうに…!」
「わ。本当なんだね、全然判らなかった」
「風流じゃないだろう」
「私には慣れた?」
「一年も一緒にいるんだ、きみや前田あたりには慣れたよ」
「一年もここにいるのに、未だ慣れてない刀剣がいるんだね」
これは確かに物凄い人見知り。
「…ふふ、なんだか歌仙がかわいく思えてきた」
「主、なんだって?」
「えっ?あ、いや、私何か言った?」
「かわいいと言われて喜ぶのは乱ぐらいだ。僕は風流や雅と言われたいものだね」
「…歌仙は、会った時から雅だったよ」
思い出すのは、審神者としてこの本丸に着いた時のこと。
こんのすけが並べた五振の刀。端から見ていって、その存在に惹かれた。
元より人ならざる者たちを見ることが多々あった私は、自分の意思を持って動く者はさんざん見てきた。けれどそうでない者は見たことがなく、未だ目覚めていないと云う心をきちんと感じ取れるか、実は不安に思っていた。
そんな不安を払うぐらい、彼らはありありと存在を示していた。
それは五感で感じ取れるものではなくて気配や直感としか言えないものだけれど、確かな熱を持っていた。
パートナーとなる刀剣を一振選び、目覚めさせるよう言われた時、もう一度五振の刀を順に見た。
私の答えは変わらなかった。
最初に惹かれたその一振に手を翳し、そこにある存在に意識を集中する。
心の奥に灯る光。
あなたと話をしてみたい、と。
その瞬間ふわりと風が抜け、頭上から穏やかな声が降ってきた。
「―はじめまして。僕は歌仙兼定、風流を愛する文系名刀さ」
見上げた先で「どうぞよろしく」と微笑む彼に、驚くでもなくただ目を奪われた。
なんて風雅なひとなんだろう、と。
戦乱の時代を生きた兵共、その技と魂を宿し自在に振るうは刀剣男士。そんな風に聞いていたから、てっきり筋骨隆々のむくつけき男性が姿を現すとばかり思っていた。
なのに実際に現れたのは、とても綺麗な男のひと。首を傾げる動作一つとっても優美で、ゆるりとした所作は見た目にそぐわない年月を経た証。
目線を合わせるようにしゃがまれて、整った顔が目の前にくる。
どうしよう、いやどうしようじゃない、とにかく挨拶をしないと。
緊張も相俟って声が上擦ってしまうのを、どうか大目に見てほしい。
「は…はじめまして、よろしくお願いします、歌仙さん」
「歌仙、で構わないよ。きみが僕の主だろう?」
「あるじ…主。そうですね。私はあなたの所有者ということになるようですから」
「うん、それならきみが主だ。それで、きみの名は何と言うんだい?」
「あ、失礼しました。私は霞月と言います。霞む月と書いて、かづき」
「霞月…か。雅な名だね」
そう言って微笑む顔は蕩けるようで。
私は自分の心臓を宥められないまま、彼の顔もまともに見られず蚊の鳴くような声で「よろしくお願いします」とだけ答えた。
「…ねえ歌仙。今思い返しても全然人見知りって雰囲気がないよ?」
「だから言ったろう、風流ではないから知られたくないと」
「それはそうなのかも知れないけど。人見知りって初対面のひとに異様に照れたりすることだよね?」
「正しくきみのことだね」
「あ、う…だって刀剣男士って言うから武骨なおじさんが出てくるとばかり…」
「雅じゃないな、そんなことを思っていたのか」
「そうだよ、それで出てきたのが端正なお兄さんだったら慌てるでしょう⁉しかもその後もかわいい男の子だったりかっこいいお兄さんたちばっかりで……私は…」
「主、顔が」
「赤いんでしょう、解ってる」
両手で頬を押さえてもほかほかしてるのが判る。
ただでさえ審神者になる前はあまり人と交流してこなかったのに、そんなところにいきなり眉目秀麗なお兄さんが現れたら照れるし混乱するに決まってる。加えて「主」なんて呼ばれて…私はそんな器じゃないのにああもうどうしよう恥ずかしい。
と、当時は盛大に混乱していた。今ではもう慣れたけど。慣れたけど思い出すと未だに顔が熱くなる。
そんな私の心中を知ってか知らずか、歌仙が手を差し出してきた。どうしたのか訊いたら「僕の手は今冷たいだろうから、冷やすといい」ということだった。照れてない、照れてないよ。もうそんなことじゃ動じないから。
歌仙は今横になっていて、私はその布団の側に座っている。いくら提案してくれたからと言って、そのまま私の頬にまで手を持っていくのはさすがに傷に障るだろう。そう考えて、私は膝の上で歌仙の手を握ることにした。
確かに冷たくて気持ちがいい。でも冷たいということは、それだけ傷が重いということで…。
私がここで話し込んでいたら歌仙の体に良くない。体と刀はリンクしているから、体の傷が悪化すれば刀にもそれが表れる。つまり手入れ時間が延びる。
主としては見舞いを切り上げて仕事に戻るべきなんだろうけど…、あともう少しだけ、ここにいたい。
「傷…直るまであとどのくらいだろう」
「職人に訊いてこなかったのかい?」
「すごく忙しそうだったから、顔だけ出してこっち来たんだ」
何しろ部隊の殆どが中傷以上だった。手入れ部屋はすぐ満室になり、空くのを待っているのがあと二振。例によって手入れ職人たちは寝ないで直そうとするだろう。仕事熱心なのはありがたいけれど、職人さんたちに体を壊されたら刀剣男士を直せる人がいなくなってしまう。また、ちゃんと休むように言わないと。
「そう心配せずとも、この体の処置は終えているから大丈夫さ。きみが来たからきっと刀の手入れも早くに終わるだろうしね」
「ん、どういうこと?」
「きみが来ると職人たちは仕事が捗るそうだ。僕も詳しくは知らないが〝幸運に見舞われる〟とか」
「…私、物吉姓じゃないよ?」
「知っているよ。でも実際に君が見舞った刀剣は少し早く直しが終わることが多い。…と。言っている傍から、僕の手入れは順調なようだ」
「わ、駄目だよ歌仙。そんないきなり起きたら傷が……傷が」
「治っているだろう?」
体を起こした歌仙が肩や胸の包帯を解く。新橋から戻ってきた当初、そこには夥しい数の創傷があったのに、それらは今痕も残さず綺麗に治っていた。触れてみても見た目そのままの触感。体温は未だ少し低いようだけれど、まやかしではない。血の付いた包帯だけが、傷があったことを証明している。心なしか顔色も少し良くなっているような。
歌仙の手入れを頼んだのが凡そ三時間前、この速さはありえない。
「…普通、いつも通りなら、あの傷が消えるまで半日はかかるよね」
「そうだね」
「職人さん、腕を上げたね」
「主、現実を見ようか。いや、それもあるだろうけれど」
「だっておかしいよこんなの。私が来たから早く終わるだなんて、そんなことが本当に起きるなら手入れ部屋に自室を移すよ」
「それは職人と相談してくれないか」
ああは言ったものの、幸運に見舞われるという現象。それには憶えがある。
現代にいた頃よくあった。グループで応募した企画がテレビやネットに取り上げられたり、学校全体で流行った風邪が私のクラスからは一人も出なかったりもした。友達と出掛ける日で雨が予報されていた日は当日に必ず晴れた。他にもいろいろ、電車の接触事故回避、有名なシェフが手掛けたレストランのプレオープンへの招待など、大なり小なり様々な幸運を見てきた。
そしてその全てに共通しているのは、その幸運は〝私に〟ではなく〝周りに〟訪れているということ。
審神者になってからというもの、そんな話を聞かなくなったからすっかり忘れていた。けど、ここでも起きているとなると本当に私が及ぼしているのか。
「でも何で…高位の神様に好かれでもしたのかな…」
「おや、僕らでは不満かな?」
「はっ⁉いや違う、そういうことじゃ…拗ねないでよ歌仙!違うってば!」
「きみと付き合いが長いのは僕だろうに…」
ふい、とそっぽを向かれてしまった。
「拗ねないでってばー!審神者になる前からそうだったの!周りにいろんな幸運がちょくちょく訪れてたの!」
「きみの気配は最初から妙だけど、何かが憑いている気配はないよ」
「ああ、そっかぁ…って、もう言われ慣れたけど私の気配そんなにおかしいの?」
「人だけど、人ではない。僕らのようであり、違う。風流とも雅ともつかない、不思議な気配だ。だからこそ判りやすい」
「私、ただの一般人だよ」
「一般の人間は綿毛になったりしないのではないかな」
「それを言われると弱いんだけど……歌仙、機嫌直してってばー」
「直すも何も、僕はいつも通りさ」
「そんなことないよー怒ってるよー…こっち見てくれないじゃない…」
「きみは目を合わせると赤面するだろう」
「端正な顔のひとに見られたら赤くもなるよ」
「ならば尚更見るわけにいかないな。元よりきみは顔を隠して僕らに接するじゃないか。常時綿毛で、時折人型になった時も面は外さない」
「歌仙とふたりの時にはこうして素顔で接してるじゃない」
ああ言えばこう言って、いつのまにか悲しい応酬が続く。
元はと言えば私の所為だろうけど、歌仙がいて、みんながいるのに、不満なんて生まれる筈がない。
……でも、きっと前までだったら歌仙は拗ねたりしなかった。少しだけ不機嫌になって、その不機嫌も自分で収めて終わりだった。こんな風に拗ねるようになったのは最近だ。私が、病院から戻ってきてから。
だとしたらこれは歌仙なりの甘えなのかも知れない。人見知りの境界を越え、慣れた者に見せる無意識の一面。
もし高位の神に好かれても、今更あなた以外の誰かに〝私〟を任せようなんて思わないのに。そんなことを心配して拗ねてしまうだなんて。私よりずっと長く生きているのに、まるで子供みたい。
そう思ったら悲しさなんかどこかへ行ってしまって、代わりに何か温かい気持ちが胸を満たした。
拗ねられるのは悲しいけど、それが甘えなら話は別。好きなひとに甘えられて嫌な気分になるわけがない。
そっと手を伸ばし、髪に触れる。
一瞬、ぴくりと肩が動いたけれど撥ね除けられることはなかった。そのまま梳くように撫でる。
さらさらふわふわ、綺麗な菫の髪。毛先だけ少し濃い、不思議な髪色。
撫でている間もずっと目を合わせてくれないけれど、それでも構わなかった。こうして撫でていると胸の温かさがじわじわ広がって、優しい気持ちが溢れてくる。
「………。」
お互い何も言わないまま、そうやって少し経った頃。漸く歌仙がこちらを向いた。でも何かを言おうとして、そのまま止まってしまう。
ちなみに今、目線は私の方が上にある。
横になってくれていたら楽に撫でられたんだけれど、歌仙は上体を起こしていた。そのまま撫でようにも布団横に正座をしている私より、歌仙の方が少し高くて撫でにくい。
布団に乗るわけにもいかないから膝で立つようにしたのだけど、そうしたら私の方が僅かに目線が高くなった。
いつもは見下ろされる側だからちょっと新鮮。
さらさらふわふわの髪を撫でながら、上目で見てくる歌仙が少し幼く見えて、笑みが深まるのを止められない。
「…そんな顔をされたら、何も言えないだろう……」
小さくてよく聞き取れなかったけど、今何か言われたような。取り敢えず怒っている様子ではなさそう。
「歌仙、もう怒ってない?」
「怒るも何も、きみの顔を見たら言葉が失せたよ」
文句を言う気力を削ぐ程の顔ってどんな顔だろう。
「私そんなに酷い顔してるの?」
「逆だよ」
「逆?」
酷い顔の逆、ということは酷くない顔?でも文句が言えなくなる程にすごい顔だったんだよね?
凄絶…なのに酷くない顔…どんな顔をしていたんだ私は。
「解らないならそのままでいい。それよりいつまでそうしている気だい?」
「あぁごめん、あまりにもさらふわで気持ちよくて。……離れがたいなぁ」
「僕は小狐丸ではないぞ、主」
「うん…。歌仙、撫でられるのいや?」
言いつつ、さらさらと流れる髪を乱さないように丁寧に手を滑らせる。穏やかに、慈しむように。
私の両親は共働きであまり家にいなかったけれど、それでも偶の休日に甘えるとこうして撫でてくれた。温かくて優しい手。大好きな両親の、心を蕩かす大きな手。
あの二人のように撫でていたつもりだけど、そう言えば撫でられて喜ぶ男のひとの話はあまり聞かない。もしかして我慢してたかな。
そう思って問えば、歌仙はたっぷり十秒は間を取って―
「………嫌じゃない」
と小さく呟いた。
少し悔しげに若干の照れを含んだその様子を―…言ったらまた怒られそうだけど、かわいいと思ってしまう。
「だが髪が乱れるし風流じゃない、そろそろ離してくれないか」
隠しきれない照れを滲ませて振り返る。そんなに照れなくてもいいのに、撫でられるの慣れてないのかな。
「髪を乱すような撫で方はしてないよ。それにどうせこのあと寝るでしょう?だったら少しくらい乱れても平気平気」
「主、女性としてまったく雅じゃないよ、その感性」
「……私、綿毛だから。女性というより性別不詳の謎の生き物だから」
「言い訳とは風流じゃないね」
「そもそも私を女性として見る人なんていなかったからね!そういう品性無いんだと思うな!」
「そんなことを威張らないでくれ、ますます風流じゃない。それに今までいなかったからと言って、今後もそうとは限らないだろう?きみはしっかりと正せば雅やかな才女に見えるのだから」
「はは、そんなこと言うの歌仙だけだよ」
私にそんな魅力は無いんだと、私が一番知っている。
みんなどうも私を過大評価している節がある。私はただの一般人、付喪神であるみんなと比べればとるに足らない小さな存在。偶然審神者としての技を揮うことができるだけの、それ以外は極めて普通の人間。…綿毛になれるのは何故か解らないけれど。
長谷部が慕うだけのカリスマ性も、歌仙が言うような雅の才も持ち合わせていない、ただの凡人なんだ。
撫でていた手を離して座り込むと、歌仙がじとりと見つめていた。
「僕の言葉を信じないのか、主」
その目は拗ねると言うより、不機嫌そうで。
「だって今までそんなこと誰にも―」
「僕より、その〝今までの誰か〟の方を信じるのか」
不機嫌が明確な怒りへと変わっていく。
何でそんなに怒っているのか解らない。原因は解る、私が彼の言葉を受け取らなかったから。
でも事実なのに、私がそんなできた人間じゃないのは本当のことなのに、どうしてそんなに怒るんだ。
「歌仙の言葉を信じていないんじゃない、事実として、私はそんな人間じゃないんだよ」
「……そう言えばきみはそういう人だったな」
長く息を吐き、やれやれと言いたげに歌仙は首を振った。
「きみは自分を過小評価している。最初に会った時からずっとそうだ、自分は矮小な存在だと頑に思い込んでいる。―いいかい、主」
浅葱色の瞳と目が合う。そこには私が宿し得ない強い輝きがあった。
初めて目にした時のように、どうしようもなく惹かれる熱がそこにある。
「きみは雅を解する心を持つ風流な人間なんだ。この〝歌仙兼定〟の主は、いつだって風雅な文化人なんだよ。それ以外の者を、僕は主と認めない」
静かに燃えるような絶対の想い。揺らぐことのないその輝きの名を、私は知っている。
その光に惹かれるのも、目を逸らせないのも、それは私が持たないものだから。
「歌仙、私は…」
「〝そんな人間じゃない〟なんて言葉はもう聞かないよ」
「え」
「僕はきみを知っている。きみの過去を、過去のきみを。そうして今のきみになっていることも。きみが歩んできた全てを知るわけではないが、それでも断言できる」
違う、と言いたいのに声が出ない。否定したいのに、どこかで続く言葉を待っている私がいる。
「あれだけの傷を負って、あれだけの悲しみを受けて、誰かを怨むことも道を踏み外すこともなかったきみの優しさは。傷付いても前に進もうとする意志は。過ちを正せる覚悟は。卑小な存在には持ち得ないものだ」
私は―
「きみは―眇たる存在などでは決してない。そこに雅を解する心がある。一振として失わず戦を勝利へ導く才がある。目を惹く風雅さがある。なのに〝そんな人間ではない〟などと、自分で自分を閉じ込めないでくれ」
「歌仙…」
「僕の主は、〝そんな小さな存在ではない〟のだから」
真っ直ぐな言葉と眼差しが焼いていく。謙遜を呈した卑屈を焼いて、私の心の奥にも火を点していく。
「…あなたには、励まされたり叱られたり、情けない姿ばっかり見せている気がする」
「遺言を託かったこともあったね。もうごめんだよ、あんな、風流の対極に位置するようなものを受け取るのは」
「―任せてよ」
小さく芽吹いたこの光は、いつかあなたと同じ輝きを宿せるだろうか。
いや、あなたがあそこまで言ってくれたのだから、必ず灯してみせる。
「精進するね、もっと、みんなを支えられるように。今度はかっこいい姿を見せられるように」
「そこは雅な姿、だろう」
「雅……は、未だ口にするのが恥ずかしいかな…」
「照れ屋なのは直りそうにないね」
「無理、これだけは無理。生来そうなんだもの。だから顔赤い時はあまり見ないで…」
例えば今とか。
赤くなっているであろう頬を隠し、視線から逃げるように顔を伏せる。せめてもう少し顔に出にくい性質だったら良かったのに。
「まあそこもきみの魅力だけれど」なんて言葉が聞こえてきたけれど、こんなのが魅力なわけがない。何を言っているの歌仙。
「そもそも僕を甘やかすだけの度量があると言うのに。そうやって卑下をするのは雅ではないよ、主」
「甘やかした?私が、歌仙を?いつ?」
それに度量とは。
「……甘やかしたろう、先程」
「先程…」
ああ、撫でたことかな。でもあれは私が撫でたいから撫でただけで、甘やかしたつもりはないんだけれど。
甘やかしになると言うのなら、もう一つ試してみようかな。
「歌仙、ちょっとごめんね」
「なん…わっ」
「嫌がると思ってさっきはしなかったんだけど、これも甘やかしに入る?」
布団の横に正座をしたまま、今度は肩を引き寄せ頭を抱く。未だ本調子じゃない所為か歌仙は簡単に引き寄せられた。上体だけ倒れこんできた彼の頭を、胸で受けとめる姿勢になる。
いつかの時と似たような体勢。あの時は歌仙の顔が私の胸に接するような形だったけれど、今は耳や頬が接している。言うなれば胸枕と言ったところだろうか。
こうしていると自分の胸がそこそこある方で良かったと思う。平らだったら枕にできなくて、肩や首に負担を掛けてしまうだろうから。とは言え受けとめるのは白衣(白い小袖)だし、枕には少し固いかも知れない。
そうやって引き寄せた歌仙をさっきと同じように撫でる。優しく丁寧に、愛しみながら。
「………入るどころか、最上級じゃないのか」
それは本当に小さく小さく呟かれた。聞き取れたのが不思議なくらいに。
「本当?良かった」
「良かった、って…どう考えてもこれは風流ではないし良くないだろう…!」
「あなたやみんなへの癒しになるなら問題ないよ」
「待ってくれ、きみはこれを僕以外にもするつもりなのか?」
「だって甘やかしになるんでしょう?」
そう言って微笑むと、暫くして溜め息が聞こえ、更にその後「違う、そういうことではないんだ。卑屈になるなとは言ったがそちらに目覚めてほしいのではないよ、主…」と聞こえてきた。
何か葛藤が窺えるけど、いったい何のことを言っているんだろう。訊いてみたいけど深く突っ込んじゃいけない気もするし、ここはそっとしておくのがいいかな。
「甘やかしになるとは言っても、まずは短刀や脇差たちにやってみるつもりだよ。体の大きな刀剣たちには嫌がられそうだし」
信濃くんは喜びそう。青江は…どんな反応するかな。ちょっと楽しみ。
「……主の羞恥心はどうなっているんだ」
「え?これそんなに恥ずかしいことなの?」
「本当にきみの羞恥心はどうなっているんだい」
「だから、これはそんなにひどいことなのか訊いてるのに」
答えてくれないけど、まあ良しとしよう。照れてる歌仙なんて滅多に見られるものじゃないし。
さらさらふわふわの髪を堪能しながら、ふと気付く。
「歌仙、体固いよ?もっと力を抜いて。大丈夫、体重かけられても倒れたりしないから…」
リラックスしてくれないと肩が凝ってしまうだろうに。
「発言がまるで青江だな」
「ええ?青江っぽい?どこが?」
「……自覚がないのか」
「うん。どの辺り?」
「言、え、る、わ、け、が、な、い、だ、ろ、う」
一言一言区切って言われてしまった。
言えるわけがないってことは解ってるってことでもあるのだから、教えてくれてもいいのに。
「でも歌仙、本当に力を抜いて。それだと肩凝っちゃうよ」
「……。」
「……頑固雅め」
「聞き捨てならないな、頑固なのはきみの方だろう」
「それは置いておくとして。傷が塞がったとは言え、未だ調子良くないでしょう?体温低いままだもの」
「まあ、思ったより深手だったからね」
「ここまでしておいて言うことじゃないと思うけど、障るようなら離すよ。どうしてほしい?」
「…僕に訊くのかい」
「問いに問いで返すのは風流じゃないよ?」
「……きみの好きにしてくれ」
「ふふ、ありがとう。じゃあもう少しこのままで」
「この包容力を認めないだなんて、主の周りの人間は何を見ているんだ……」
ええっと、歌仙、聞こえてます。そもそもあの一件以来誰かと関わることを避けてきたから知らなくて当然だと思うよ。
それきり会話が途絶えたものの、気まずさなどはなく、歌仙も少し脱力していたように思える。
さらさらと、傷付いた体と心を癒すように優しく梳いていく。
きっと今も慣れていない刀剣と組んだ時は神経を減らしている筈。これであなたが張る緊張の糸が一時でも弛んで、少しでも安らぎを得られるのなら、いくらでも癒してあげたい。
神に仕える審神者として、私にできる奉仕の一つになればいい。
―と、不意に体重をかけられてよろめきそうになった。
「歌仙?」
問いかけても返事はなく、規則正しい呼吸が肩の動きに合わせて感じられる。
「…寝ちゃった?」
頭を撫でている間に寝てしまうなんて、本当に子供みたい。と思ったけれど、ふと考え直す。
違う、それだけ疲れてたんだ、と。
そっと体を離し布団の上に横たえる。
そう言えば歌仙の寝顔を見るのは久しぶりだ。初めて見たのは病院だけれど、あの時私は動けなかったし逆光でよく見えていなかったから、初めてとも言える。
不作法とは知りつつも、まじまじと見てしまう。
……やっぱり端正な顔立ち。長い睫毛に均整のとれた目鼻。前髪が程よくかかって麗しくも見える。
そして美と実力の両立をテーマとしているもう一振の兼定と同じく、華がある。あちらが玄関先で客を迎える豪奢な華とすれば、こちらは床の間に活けられ静謐を彩る華、と言った具合か。
とは言えその顔には疲れが滲んでいる。
疲れていたにも関わらずこうして話に付き合ってくれた。自信を持てと励まし、私を認めてくれた。
「…ありがとう、歌仙」
あなたが光をくれたから、私は頑張るよ。
この戦が終わるまでの主として、あなたを正しい持ち主の元に返す日まで。
暗くなってきた部屋に灯りを点し、私は静かに執務室へと戻った。
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