ロシア留学記①モスクワでのちょっとした1か月
とりあえず、いま、行ってみたかった。そんな感じ。
それが留学の動機を最もよく表している言葉だと思います。
私は2023年の7月末からおよそ1か月間、モスクワにあるプーシキン記念国立ロシア語大学という機関で短期留学をしました。いろいろあったので備忘録的に書き連ねていこうと思います。
大学についてはこちらから。
はじめに:私という偏り
できるだけゆるゆる書きたかったが、情報の偏りについてだけは先に注釈を付けておきたい。なぜなら、ロシア・ウクライナ戦争を巡っては情報戦が繰り広げられ、常に「フェイク」「ファクト」といった言葉が付きまとうからだ。
どこの情報を信じるなというつもりは特にないが、それがどこから、どんな性質を持つ機関から、どんな意図で発せられているのかを見失ってしまうよねっていう当たり前の話です。なんか口うるさいおっさんみたいになってしまった。10代の頃に勤務先の塾で小学生に「30代」と言われたのも頷ける気がする。
まあそんなわけで、これはあくまで1か月だけ滞在した、ロシア語を満足に喋れない人間の観察に基づいた一考察ということです。情報源という意味で私の性質だけ先に述べておきます。
私は東京のとあるユートピアにいる、北海道産の歴史学徒です。ロシア史をやろうと思っています。ロシア語は1年くらい学んで、ちょこちょこ難がありながらも日常生活はがんばって送れるくらい。(ロシアでは観光地や中心部以外で英語は基本的に通じない。話せる人の割合は日本くらいの印象。)
あえて述べると、別に親ロシアではない。誤解を恐れずにいえば、ウクライナにも色々問題はあったといえど、普通にロシアが悪いと思っている。だけど、それで「ロシアが(あるいはロシア人が)クソだ」と一言で無思考に終わらせて満足するのはそれ以上に問題なんじゃないかと思ったりしている。
長くなりました。悪しからず。
モスクワのいま:戦争の影響は?
「ロシアに行ってきた」と言うと、やっぱりよく聞かれるのは、「ロシアって安全なの?」「行って大丈夫?」という質問。
ダラダラと駄文に付き合わせるのも心が痛むので、多くの方が一番気になるであろうことから始めよう。ここで愛想を尽かされないことを切に願う。
結論から言うと、戦争の影響はまったく感じなかったし、危険を感じたことも一切ない。誇張はしていない。
現地でできたロシア出身の友達は、
1)国外に行きにくい
2)輸入品が高い
3)VPNがないとインスタを使えない
という3つ以外は特に変化は感じていないと言っていた。
ちなみに、インスタはやはり大人気のようで、多くの人はVPN*を使ってアクセスしてるようだ(参照:【NHK】通信暗号化で検閲回避 ロシア市民の「VPN」利用が急増 )。レストランも普通にメニューにインスタのQRコードを載せてるのには若干戸惑った。
*Virtual Private Network: 公衆ネットワークを暗号化して自分専用のトンネルを作るみたいな技術で、海外サーバーに接続する際によく使われる。
仲良くなったルーマニアから来た学生からは、「俺の国では戦争の影響でヒーヒー言ってんのに、こっちの暮らしは快適すぎる。それに比べれば物価もアホみたいに安くて、ショックだった」(勝手に日本語訳)と聞いた。セルビアの子も同意していた。
たしかに物価はあまり上がっていない。ドローンがビルに突っ込んだ日もあの人を乗せた飛行機が墜落した日も、普通の日常が続いているように映った。
私自身への影響としても、戦争の影響でGPSの調子が悪く地図アプリの動作が悪いせいで、何度も反対方向に歩き出してしまったことくらいだ。悪いのはマップである。
もう少し踏み込んだ話は、別のnoteで書こうと思っている。
生活雑記:過ごしてて思ったこと
およそ1か月のモスクワ生活。
なんとなく感じたことをいくつか書いていこうと思う。
まず、前述のように物価は安い。外食は日本と同じくらい、原材料は遥かに安い印象だ。
「え?制裁は効いてないの?」と思う方がいるかもしれないが、もとより対ロシアの制裁は一般国民に向けられたものではないらしい(参照:【朝日新聞】対ロシア制裁は「普通の人の生活を狙ってない」専門家が見る効果 )。
まあ、生活が逼迫すれば「西側が我々を追い詰めている」というロジックがいっそう説得力を持ってしまうのもあるだろう。戦時下でリーダーの支持率が上がるのもよくある話だ。
よかったこと
少々話が逸れたが、この安いお値段のなか、ご飯がうまい。かなりうまかった。
例えば、ボルシチ。厳密にはウクライナ料理だけど、旧ソ連圏のレストランはたくさんある。いろんなところのボルシチを食し、最終的には29日の滞在で14ボルシチを数えた。
もう一つ代表的な料理として、ブリヌィを挙げたい。
言ってしまえばクレープである。家庭料理の代表格らしい。ただ、甘いのが一般的な日本のものとは違い、バリバリに食事として食べる。イクラが入ってたり、サーモンが入ってたりする。もちろん甘いものもあるが。
この調子でグルメ紹介をしていたらスカスカの期末レポートになってしまうので、お食事については以上。パンも安くておいしかった。
もう一つ嬉しかったのは、整備された交通網だ。特にモスクワのメトロは安い、速い、高頻度という3点セットで、東京に勝るとも劣らなかったと思う。あと綺麗。美術館レベルのものもある。
たいていの駅は、ながーいエスカレーターで地下へと向かう。その様子はこちら。
お気づきだろうか。
彼らが関西人マインドだということを。
そう、モスクワ市民は右側に立つのだ。それもかなり厳格で、ほとんどのエスカレーターではそこに秩序があった。つまり、人が多いと詰まるということだ。
東京で右側のスペースを無駄遣いしている時に感じる、あのなんとも言えないもどかしさが、モスクワにもあった。ちなみに、ペテルブルクやカリーニングラードも同様だった。友人によると、ルーマニアも右らしい。
実は東日本が特殊で、これまで私が自明視していた左側は、エコーチェンバーの中に過ぎなかったのではないかと、アイデンティティが揺さぶられそうになった。右とか左とかって難しいね。
バスもよかった。
方向感覚の欠陥によるバス停間のシャトルランのせいで4本連続で乗り損ね、自暴自棄になってよくわからぬものに乗り、結局見事に逆方向に行った以外は。土地勘とは、経験とは、失敗なしには磨かれない。そう言い聞かせた夕暮れだった。
結論、かなり過ごしやすい場所だった。
よくなかったこと
個人的に苦手だった点を挙げるとすれば、タバコだろうか。
あと、有料トイレ。心の中で謝りながらファストフード店を利用させていただくことにより、一度もお金を払わずに通した。どや。
さて、統計によると、2020年のロシアの喫煙率は26.8%らしい。近年かなり下降傾向にはあるようだ。ちなみに、厚労省の調査によると、2019年の日本は16.7%となっている。
体感的には、もっと差がある気がした。建物の中は全面的に禁煙らしいが、外に出ると、あちらこちらで老若男女問わずタバコを吸っている人を目にしたからだ。
個人的にかなりタバコの臭いは苦手なので、結構きつかった。
とはいえ、当然危機意識は持っている人もいるようだ。ロシア人の友人は「喫煙は大きな問題だ。僕は1回試しただけだけど、友達はみんな吸ってる」と言っていた。
セルビアもかなりらしい。調べてみると世界4位だった。
若者の間では「みんな吸ってるから」みたいなテンションで、吸うのがデフォルトだとのこと。ふと、酒も似たようなもんかと思ったりした。
おわりに
まあそんなこんなで、1か月のモスクワ生活記録はこの辺りで切り上げる。
実はもっと書くつもりだったのですが、あまりにも溢れたので分割して続編をお届けします。
ここまで読むほどの体力があるあなたなら、きっと読める。
蛇足ながら、最後の1週間はなぜかお腹を壊しました。
ここで、ネタで持っていった正露丸が役に立ってくれたのだ。
個人的にはかなり面白いと思っているのだが、通じない可能性があるのでダサいと承知しながら軽く説明させていただく。
胃腸薬として開発されたこの商品は、1904年に陸海軍に配布される。そう、日露戦争が開戦した年だ。それにあやかって「ロシアを征服する」という意味を込めて、「征露丸」と名付けられた。戦後、国際関係上よくないという至極当然の理由で「正露丸」へと改名されたのである。
ロシアをどうこうしようと思っていたわけではないです。マジです。
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