「ワーキングプア・3度の鬱病、宇宙意識との対話、私がゲーム会社の社長になるまで」

どんな状況にあっても、あなたは愛されているー今、絶望の中にいる人へ


「お願いがあります。ここに死ねる薬があるなら、今すぐ打ってください」
 それを聞いた病院の看護師さんは激しく動揺して泣き出してしまいました。目の前にいるのは狂人ではない。あまりにも理性的で、切実な願いであったからです。

ー26歳、貯金なし、無職、鬱病ー

 大学卒業後、新卒入社を断り国家資格を受験したはいいものの、頑張りすぎて鬱と診断された私がリハビリにということで選んだアルバイト先は日本の社会システムの底辺でした。

 「真面目にやったってしょうがないよ。」なんていう上司の言葉をかわし、非正規社員として働きながら、会社では人の2倍の仕事をする。
2時に仕事が終わったら、家に帰りビジネスの勉強をする。毎日寝不足で死ぬほど眠い。最低時給で働き、社員と同等の仕事をこなす。食事もできない。休みもろくにもらえない。でも、社員になったってなんの夢もなく、ストレスだらけのパワハラの横行する職場で個人の尊厳などそこにはありませんでした。

 上司とは、何度も喧嘩になりました。同僚は抵抗することさえ諦めているようで、私をかばってくれる人間は一人としていませんでした。

「この生活から抜け出して起業して成功する」それが私の唯一の希望でした。

 そんな生活を続けているある日、私の心は再び壊れてしまったのです。ある朝、私の体は起き上がることができなくなっていました。病院では鬱の再発と診断されました。

 貯金なし、無職、鬱病。それが26歳の私の全てでした。結果、病気は1年ほどの通院を要しました。「もう、社会で受け入れてくれるところなんてないだろうな」私はベッドで毎日のようにそう考えていました。自分が情けなくて、悔しくて、どれだけ泣いたか覚えていません。

ー目の前の現実は、全て自分の責任ー

 「目の前の現実は、全て自分の責任」結局、それが私のたどり着いた結論でした。そして、自分の人生の価値観は間違っていたかもしれないと思うようになりました。
社会的な成功、地位、お金、ステータス、私は自分の欲のままに行動し、人とぶつかり、競争し、そして倒れたのです。

 そんな時に出会ったのが、スティーブン・R・コヴィー氏の「7つの習慣」という本でした。この本は今でも私の愛読書ですが、とにかく人生を大きく変えてくれた本です。この時期は、とにかく藁をも掴む思いで心理学や人生についての本を読み漁っていたのですが、この本が一番私にはしっくりきたのです。

 かなり強引に要約すると、成功と呼べる人生を送るためには、人格・内面での成功が大切であるということが書いてある本です。

 この本との出会いは、私の人生の大きな転換点になりました。まずは、自分の内面を見て、価値観を一つづつ検討し直すことにしました。自分の中に多くの価値観のうちどれ程が、自分の幸せに役立っているのかを徹底的に考えた有意義な時期でした。

ー自分を愛し、尊敬し、優しくすることー

 結果、私の価値観は大きく変わりました。人から評価されたい・認められたいという強い気持ちは薄れ、自分で自分を認められるようになりたいと思うようになりました。
そして、自分をもっと大切にすること、優しく労わること、育むこと、尊敬すること、人生を信頼すること、その結果、他の人にも与えられる人間になることを目標とする生き方に変化していきました。

ースマホアプリとの出会いー

 33歳の時、私はふと立ち寄った書店でスマホアプリの個人開発者の本と出会うことになります。
個人で作ったアプリが世界中で販売でき大ヒットしてる、それって凄いと思いました。
直感的に、「これだ!」と思ったんです。それから、独学で英語とプログラミングを学び始めました。

ー最初に作ったアプリがNTTドコモの店頭配布冊子に掲載されるー

 最初に作ったアプリは、書籍にサンプルになっていたメモ帳アプリを少しだけ改良して女性むけのデザインに変えたものでした。2週間くらいで作ったアプリ。

 これが、女性に受け入れられて、1年で50万インストールくらいまで伸びた。気がついたら、大手のアプリレビューサイトで12週間連続1位を獲得、ムック雑誌「使えるAndroidアプリ1000」に掲載され、他にもたくさんのサイトでランキング上位に入っていたらしい。

ーゲームアプリで月50万円稼ぐー

 次に挑戦したのは、ゲームアプリだった。理由は、ゲームの方がツール系のアプリよりも売り上げが立ちやすいからで、ゲームが好きだったわけでも何でもなかった。

 元来、私はゲームやテレビを見るよりも読書している方が好きな性格で、「誰かの空想には興味ない、現実世界のビジネスや心理学とか物理学の方が面白いじゃないか」という極端な考えの持ち主でした。

 テレビも法律の勉強の邪魔と22歳の時に捨てたし、ゲーム機も部屋に置いたことはなかったです。

 ゲームは、とりあえず2つ作ったが、2つともヒットしました。当時のストアでは、ゲームランキング上位にパチンコのアプリが入ることが多かったため、パチンコアプリを作った。もう一つは釣りのゲーム。こちらはマーケティング調査で競合が少なかったからです。

 この2本のアプリだけで、月収は50万円を超え、当時はメインの仕事が英日翻訳家で、アプリはあくまでも副業としてやっていたため、多い時の月収は100万円くらいありました。

 当時の心境としては、ホッとしたという気持ちが強かったです。ようやく社会で結果が出せた、今まで取り組んできたビジネスの勉強が活かせた、という思いと、散々心配をかけてきた両親に恩返しができると思ったからです。

ー過酷な個人事業で、3度目の鬱病にー

 そんな幸せな状態も長くは続きませんでした。

 とにかくアプリ運営というのは、大変です。バグ修正のメールへの対応、レビューへの返信、アプリのコード修正など全部一人でこなさなくてはいけません。

 私の当時の技術力は、到底プロレベルになく、とにかく動けば良いという思考でアプリをなるべく早くリリースしていました。当然、アプリはバグだらけで、連日激しい怒りのメールが届いていたのです。電話への嫌がらせも日常茶飯事でした。

 とはいえ、メインの翻訳家の仕事もこなさなければいけないため、私の睡眠時間はどんどん削られていきました。

 そんな精神的にも肉体的にも過酷な生活の中、私の心は再び壊れてしまったのでした。人生、3度目の鬱病でした。私はもう、ゲーム制作への情熱も失っていました。

 今思えば大勢の人が応援してくれ、レビューで励ましてくれていたのです。しかし、クレーム対応ばかりに追われていると「自分のアプリは人を不幸にしている、自分は悪いことをしている」という意識が強くなってしまうものです。

 そして、私はこうして、2年前にアプリを友人のゲーム会社社長に渡し、アプリのアカウントを閉じました。

ー人生3度目の鬱病ー

 再び、鬱病・無収入になった私は、ひどい絶望の中にいました。そして、毎日のように「楽に死ねる方法」は無いか、と考えていました。

 私が生きていても何も良いことは無い。親にも何度も迷惑をかけるし、愛する人と結婚して家族を持ったり、車を買ったり、37歳にもなって普通の人が人生で得られるものが、私にはどんなに努力しても得られなかったのです。

「お願いがあります。ここに死ねる薬があるなら、今すぐ打ってください」
それを聞いた精神科の看護師さんは激しく動揺して泣き出してしまいました。目の前にいるのは狂人ではない。あまりにも理性的で、切実な願いであったからです。私もつられて赤ん坊のように泣きじゃくりました。

「生きてて良かったって思えるまで、人は生きなきゃいけないのよ」散々泣いた後に、看護師さんは干からびた目で宙を見つめる私にそう言ってくれました。

ー宇宙人?との遭遇、そしてヨーガとの出会いー

 私は、その日以来、生きている事の意味について必死に考えるようになりました。毎日のように神社に通い、神に祈りました。

「神よ、あなたがおられるならば、どうかこの私をお救いください」

 この願いが聞き届けられたのかは分かりませんが、ある夜奇跡は起きたのです。これは、今まで一部の信頼できる友人にした話した事のない実体験です。

 その日、私は自分のこれまでの人生をパソコンに向かって書きなぐっていました。それは、「心」という小説のようなものになろうとしていました。

 すると突然目の前が真っ白な光に包まれ、私の体は激しく痙攣し出しました。頭は点を向き、その状態で動くことができないまま、身体中を電流のようなものが駆け巡るのにまかせていました。

20分くらいそうしていたでしょうか。

 あまりの心地よさに、私は目をつぶりました。すると、目の中に3Dホログラムのようなものが浮かび上がってきたのです。それは、人間によく似た目の大きな小さな生物のものでした。

 そして、声が聞こえてきたのです。「あなたは地上で愛を選択している、私は平和の使者」と聞こえました。

 そして、私の体を操作して部屋中を歩き、見回り始めました。操作とは言っても、私の意思でやめることもできるのです。それは奇妙な感覚でした。
一通り、私の部屋を見終えると、再び声が聞こえてきました。「この部屋のものは、すべて完璧に配置されている。」と。

 そして、PCの画面を食い入るように眺め出しました。私のMacの画面は宇宙の星座が映し出されており、地球とある一つに星座を何度も私の目は往復していたのです。「そこに住んでいるの?」と私が心の中で聞くと、「そうだ」という声が聞こえました。

 次に、PCに配置していた「心」を見てから、PCを操作してハートマークを作りました。「君の心が好き」という言葉が聞こえると、私は嬉しくて涙を流しました。普段感情を表に出さない私が、喜びで涙を流したのは人生で初めてのことでした。

「君に言葉を教えてあげる」

 静寂のあと、再び声が聞こえると、私の体はヨガのポーズを始めました。私はそれまでヨガには全く興味が無く、それがヨガだと知ったのは後の事でした。
一つポーズを取っては「平和」、「愛」、「信頼」、「奉仕」、「誠実」、「希望」などというワードが口から勝手に出てくるのです。

 それから、数日間、その生命体は私の体を使ってヨガのポージングを行いました。食事もせず、全く睡眠をとらずにいましたが、全く疲れないのです。むしろ私の体は生命力が高まったような状態になっていました。

 この経験には、続きがあるのですが、非常に長くなるのでここまでとします。

一つ言えるのは、この不思議な体験以降、私の人生は急変することになります。

ー人との出会いを大切にした結果、ゲーム会社の社長に就任ー

 まず、価値観が大きく変わりました。自分の人生で絶望していた時も、何か大きな存在が見守ってくれていたことに気がつきました。そして、人生は幸せになるために完璧に仕組まれたステージのようなものだったように思えるようになりました。

 私は、自分の中にある何か暖かいものに触れ、幸福感を感じていました。それは、とても優しいものでした。

 今、私はゲーム会社の社長を任されています。また、末期ガン患者を救うための予防医学研究所という組織の代表も任されています。投資家の援助もあります。

 それは、とても急なことでした。努力したわけでも無く、人のご縁で気が付いたらそうなっていたのです。

 私は、これは平和の使者として、自分に与えられた天命であるように感じています。自分に与えられた人、お金、物をどのように使うのかを試されているのでは、と思うのです。

ー今、絶望の中にいる人へー

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 今思えば、すべて自業自得で波乱万丈な半生でしたが、同じ境遇にいる人、特にワーキングプアの状態の方や鬱病でベッドから出られない方に向けて、このノートを書きました。

 私の人生をさらけ出すことで勇気と希望を持ってくれる人がきっと居ると信じているからです。

ー無料でゲームエンジニアになる講座を提供中ー

 今、私は、自分を苦境から助けてくれたゲームアプリ制作をより多くの人に知ってもらい、手に職をつけてもらいたい一心で、Youtubeでのゲーム制作講座を開始しました。

 Unityという無料のゲーム制作ソフトを使うので、パソコン1台あれば、誰でも受講できます。それに、Unityに精通すると、フリーランスで50-80万円くらいの案件を請けることができるようになります。

 周りに、ワーキングプアの人や、在宅での仕事がしたい人がいたら、ぜひ教えてあげてください。

1日10分 Unityゲーム制作 基礎編
https://www.youtube.com/watch?v=SBd_c2JtJa4&list=PLWbbTHmaID8258HqPQIMDft63JMifNm3Z&index=3&t=185s

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