見出し画像

古典不要論へのアンチテーゼ

おはようございます!こんにちは!こんばんは!H!storyです!

古典って意味ある?

源氏物語

突然ですが皆さんは古典(竹取物語や源氏物語)にどんな印象を持っていますか?

「受験科目であったなー」
「でも得意じゃなかったし、無ければいいのにって思ってた笑」
「古典の授業は眠かったよー🙂

大体がこのような感想では・・・?(少なくとも私の周りはこんな感じです笑)

実際、私は都内の国語専門塾で古典を教えていて「古典ってなんのために学ぶの?」「受験の古文ってつまらないよね」と生徒からよく言われます。(先生は授業頑張ってるよ🥲)

この背景には、私の教え方に関する問題があるのかもしれませんがそれ以上の要因があると思います。

それは、
”いかにテクニックを駆使して、短時間で高得点をもぎ取れるかが問われる”
という受験古典の性質です。

受験古典

受験で出題される古典の問題は、
・古典文法を丸暗記していれば解ける文法問題
・主語を指摘する問題
・内容に関するマルバツ問題
が大半を占めます。

つまりいかにテクニックを駆使して文章の要点を掴めてるかが問われるのです。
(もちろん全ての大学の問題がそうであると言うつもりはありません。)

古典の本質

受験ではテクニカルな部分が問われる反面、古典の本質はそこにはないというのが私の意見です。

一つ一つの単語を調べて原典をじっくりと咀嚼する。現代日本とはかけ離れた価値観に思いを馳せ、非日常を味わう。

ここにこそ古典の価値を置きたいです。

古典も歴史も抱えている課題は同じ?

これって受験科目の「歴史」にも同じことが言えるのではないでしょうか?(本来歴史って〇〇な科目なのに受験で得点を解くためには□□な勉強をせざるを得ない・・・といった具合にです。この点については以前noteで取り上げたので是非ご覧ください↓ ↓ )

最後に。

源氏物語

古典が受験科目として採用されており、暗記偏重の指導になってしまっている以上仕方がないかもしれませんが古典に対してマイナスな感情を持たれているのは少し寂しい・・・です。

べき論にすぎませんが、「大人になってあいつの授業面白かったな。」「そういえばあいつこんなこと言ってたな。」「古典読み返してみようかな。」という生徒が一人でもいてくれればいいなと思いながら教鞭を執っています!

テクニカルな指導の裏にも、「本質はそこではないよ!」というメッセージを授業で散りばめていれば私の想いが遠い未来、彼ら彼女らに届くのではないでしょうか。


現状の日本の歴史教育は暗記メイン・受験のための道具であり、本来学ぶ意義があるはずが蔑ろにされています。まずは歴史に触れ始める小学生が楽しめるような歴史カードゲームを通じて、私たちのビジョンである「歴史を楽しく主体的に」を実現しようと考えています。応援よろしくお願いします!