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Linuxのユーザーエクスペリエンス

(5006文字) LinuxをメインOSにして数日が立ちました。すでにすっかりハマってしまっています。

Mac/Win/Linuxと三股ユーザーの私はその時・その時代の気分でメインOSを変えてきました。

1. Classic MacOS
2. Mac OS X
3. Fedoraの後Ubuntuの登場を機にしばらくLinux
4. iOS登場を機に再びmacOS
5. バージョン10になって「メインで使ってもいいかな」と思うレベルにようやく達したWindows
6. 再びLinux (Ubuntu)

という具合です。「他のOSから乗り換えた」という意味ではありません。メインにしないだけで、どのOSも多かれ少なかれちょくちょく触ったりしてます。「〇〇派」というOSユーザーのカテゴライズに縛られるのが嫌いなのです。べつにOSで人類を分類してカテゴライズしなくても良いんじゃないですかねって感じです。そういうのはなんだか堅苦しくて不自由です。

自分の気分でメインOSをほいほい変える「気分屋で都合の良いユーザー」の私が、2020年9月12日よりメインOSにしたのが「Linux」です。いろいろ巡って、再びLinuxに行き着きました。なんだかんだでやっぱり私はLinuxやオープンソース文化が好きなようです。

カウンターカルチャーとしてのLinux

私はカウンターカルチャーが好きです。初めて自分のパソコンを買うときにMacを選んだのも、Classic MacOS時代のMacが持っていた、メジャーな既定概念に立ち向かうカウンターカルチャーとしての文化と哲学に惹かれたからです。

今のmacOSとClassic MacOSは全く違う文化と「匂い」を持つOSでした。

1)まず、ゴミ箱がかわいい
2)イースターエッグなど隠し技が満載
3)カスタマイズの自由度が高い
4)OS全体にマシン臭がなく、温かみがある
5)そして何より、「遊び心」がある

それが私がClassic MacOSを大好きだった理由でした。

2000年にMac OS Xが登場し、20年の時を経た現在はmacOSとなり、オシャレPCの代名詞となりました。誰もが普通にAppleのOSを日々手に持ち、Apple製品はすっかりコモディティ化しました。

コモディティ化し、洗練され、進化する過程の中で、上記に挙げた私が好きだったClassic Mac OSが持っていた既存の確立した価値観に立ち向かうカウンターカルチャーとしての「匂い」や文化はひとつひとつ消えて行きました。

Appleは世界トップのTECH企業となり、昨今話題のフォートナイトの件にみるように今や1984年のカウンターカルチャーとしてのAppleはなく、フォートナイトのEpic社が動画で皮肉ったように、まさに現代のビッグブラザーとなりました。カウンターカルチャーの核であったスティーブ・ジョブズやジョナサン・アイブが率いたAppleはもういません。

では、私が好きだったOS界のカウンターカルチャーはどこにいってしまったのでしょうか。もうメジャーOSの世界ではカウンターカルチャーは生まれないのでしょうか。いえ、カウンターカルチャーはまだまだ生まれています。そのメジャーOS最後の砦が「Linux」の世界だと私は思っています。

アプリランチャーショートカット

Linuxの良いところはたくさんありますが、その思想や哲学を見るには、全てのOSの根幹となっているキーを見ればその哲学が見え隠れすると思います。

・Macなら、コマンドキー
・Windowsなら、Windowsキー
・Linuxなら、Superキー

です。

このLinuxの「Superキー」。これが非常に優れもの。
ここからOSやアプリを色々コントロール出来る根幹としてよく設計されているホント「Super」なキーです。

たとえばドックの並びもちゃんと意味があります。
「Super+順番の番号キー」でアプリを一発で立ち上げられます。
番号換えたければドックの順番を並べ替えるだけ。(↓)

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たとえばこの並びだと、PC起動して「Super+4」で0.5秒後にはもうBlenderが立ち上がってます。
(Linux上でのBlenderの起動はまるでテキストエディタなみに爆速で起動します。)

「Super+A (All)」

で全アプリ表示になる。(↓)

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Superはまさにいろいろな「ランチャー」としての基幹として設計されているわけです。
Superを使いこなせば色々とスパスパと瞬時に画面や動作を切り替えられる。
最高です。PCに求めるのはこれなのです。

ゴミ箱は「Trash」。場所はデスクトップ上の右下が好み

あと、Classic MacOSファンとしては、やっぱゴミ箱は「Trash」という名で、作業の起点となる左上の視覚領域の邪魔にならないデスクトップ上の右下にあるのが個人的には好みです。
これがデフォルトで出来るOSって、なんと今やLinuxしかないのですね。

Macは名前は伝統的に「Trash」ですが置き場所は今やドックの中です。Windowsは昔からずっと変わらずデスクトップ上にありますが、名前が「Recycle Bin」です。「いや、リサイクルしないんだけど・・・」といつも感じるネーミングです。

疑問に思っていたので調べてみました。そしたら世界には私と同じことを考える人が必ずいるものです。

"Why did Microsoft choose the word “Recycle Bin”?"

https://ux.stackexchange.com/questions/55943/why-did-microsoft-choose-the-word-recycle-bin

とても興味深い議論です。

- Appleが「Trash」を使っており訴訟対抗のため「Recycle Bin」にした
- 削除されたわけではなく再利用出来るのだから「Recyle」は理にかなっている
- 始まりはマイクロソフトではない。Appleを追い出されたジョブズが立ち上げたNeXTがゴミ箱にリサイクルマークを使ったのが最初
- 「ゴミ箱の隠喩」という概念はMacやWindowsが起源ではない。1950年代後半のLisp言語で「ガーベージコレクション」という概念が登場した。

などなど。いやはや、「Trash」は奥が深いです。いや、システムの言語を日本語にしたらどのOSも「ごみ箱」なのですけどね。私はClassic MacOS時代からメインPCのシステム言語は一貫して英語で使っているのでこういう事が気になった訳です。

システム言語を英語にする理由。それは、

「それがオリジナル開発者が考えた・発した本来の姿だから」

です。

開発基本言語圏が英語である以上、日本語版はオリジナル開発者が想定した本来の姿ではなく、翻訳された姿です。
言語は思考を司るので、そのオリジナルが発するメッセージは第三者・通訳者を介さずダイレクトに受け取りたい。というのが私の考えです。吹替版で映画を見るような感覚、といったら分かりやすいでしょうか。

また、日本語のような2バイト文字はメモリーを消費します。PCのスペックや処理がかなり進化した現代ではもうどうでもよくなってしまいましたが、昔のMac OSなどは日本語版と英語版ではサクサク度が明らかに違いました。PCのプリミティブな姿を体験として知っている私としては未だにシステム言語を英語にしているのはその流れ、というわけです。

さて、Linuxの「Trash」に話を戻します。

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やはりゴミ箱は右下で「Trash」が落ち着く。そしてアイコンデザインも温かみと遊び心があってかわいい。昔のClassic MacOSはセサミストリートの道路に置いてあるような蓋付きのブリキ缶でしたが、こちらは現代によく見られる口が前に付いているタイプのシンプルでモダンデザインのゴミ箱になってます。

この「温かみ・遊び心・かわいらしさ」が進化の過程のなかでMacとWindowsで失われてしまったものだなぁ、と私は感じます。

PCユーザーインターフェイス今昔物語

昔のOSはそれなりにどのOSにもこの3つの要素がありました。Macと比べてWindowsはダサいとよく言われましたが、WIndowsも初期のアイコンは初代Macの超有名なアイコンたちを生んだ天才デザイナーのスーザン・ケアがデザインしていました。

http://mojix.org/2009/05/18/susan_kare

私はこのスーザン・ケアの大ファンです。彼女のデザインするアイコンやフォントにはこの3つの要素が全て揃っているからです。

現代のOSも今ドキのデザイン言語と高い解像度に適応するためによりグラフィカルに進化しました。Mac OS Xのアクアインターフェイスが登場したときは「未来の到来」を感じたものです。

それから20年の時を経て高解像度環境になった現代、アイコンはどんどんシンプルになっていってます。
膨大で複雑で雑多な情報を処理する入り口となるアイコンデザインはどんどん抽象度が高くなっていき、贅肉が削ぎ落とされて最後はシンプルなシルエットだけでわかるものに行き着いていきます。

単にシンプルなだけでなく、やはり人間が「最初にタッチして操作するもの」であるアイコンには「温かみのあるヒューマンなタッチ」が欲しい。最後はやはりその「ルック&フィール」の「フィール」の方が大事になってくる、と私は思います。

GNOMEのインターフェイス哲学

Ubuntu Linuxの温かみがあって遊び心があって可愛らしいGUIは「GNOME」です。GNOMEにもやはりMacのように統一されたインターフェイスデザインの哲学とそのガイドラインがあります。

https://developer.gnome.org/hig/stable/

アイコンのデザインのガイドラインもあります。
https://developer.gnome.org/hig/stable/icon-design.html.en

サイズ、角度、影のつけかたや使われる色の範囲まで決められていてよく考えられています。

Blenderのユーザーインターフェイス哲学

同じオープンソースソフトのBlender もバージョンが2.8になった時に根底からリデザインされ劇的にユーザーインターフェイスが変わりました。Blenderの新しいインターフェイスも一貫したデザイン哲学を持ってデザインされています。このあたりの記事を読むと非常に興味深く面白いです。

https://code.blender.org/2020/03/feb-2020-ui-workshop/

こちらに公開されている2008年ごろのインターフェイスの変遷に関するPDFを読むと、Blenderは昔からどのOSでも全く見た目が同じになるように設計・デザインされているそのインターフェイスの哲学が垣間見れます。

https://download.blender.org/documentation/bc2008/evolution_of_blenders_ui.pdf

「MacやWindowsやLinuxで切り替えても全く変わらない見た目」「地道に変化と改善を積み重ね、2.8になって劇的に良くなったインターフェイス」「アイコンが温かみがあって可愛い」と感じるのは、やはりユーザーエクスペリエンスとインターフェイスに対してのちゃんとした基盤となっている哲学とその理由があるわけです。

まとめ:「Linux=俺の隠れ家」

さて、そんなこんなで、メインにしてまだ数日ですがLinuxにどっぷりハマってます。

例えて言うなら

- Mac=オシャレなカフェ、快適なホテル
- Windows=職場
- Linux=俺の隠れ家・サンクチュアリ

という感じでしょうか。
高いカスタマイズ性があり
使う人に最終的な意思決定権がある「まさにオペレーション(操作)システム」らしいOS。
単に「Blenderの実行速度が早い」というだけでなく、PCのトータルコーディネートや居心地のいい空間としての「オレの隠れ家OS」を求めていったら2020年の今、再びメインOSがLinuxにたどり着いた、という話でした。


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