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虹を見た話

「雲をとってね」と先生が言ったから。

勿論「取る」でも「採る」でもない。撮影の話だ。来月提出の雲のレポート。それぞれの雲を自分で撮った写真でまとめる。

地学科の彼女は「ふわっとした」という表現がぴったりと当てはまる先生で、のんびりとした口調で時折不思議なことを言う、いわゆる「天然」だ。さすが地学科と言うべきか、石が好きで、講義中に"ソレ"に話しかけ始めたときは驚いた。「じっくり自分で観察しよう」といった趣旨の講義だったので、まあそういうことだったのかもしれないが。

雲のレポートについて最初の連絡がなされたのは4月。10種類の雲を数日で集めるのは不可能だ、それぞれの季節にそれぞれの雲があるのだから、前もって準備しておきなさいとの事。

夏休み前までは皆ふとした時に空にカメラを向けていたが、最近はそんな姿もめっきり見ない。私はと言えば、空を見るのは好きだが、よっぽど好みの空でないなら撮らないという、ただの偏屈である。

そうして今日の授業の先生の一言で意識せざるを得なくなった「レポート提出日」。学生にとってとても馴染みのある、まあ好むものでもない言葉。とはいえ、やらないわけにはいかないし、別に嫌だとまでは思わない。勉強は「させてもらうもの」であり、それが学生の本分である。

話が逸れた。

とにかく雲の写真をまた撮らなければ。放課後突然の天気雨に降られながら辿り着いた駅のホームで、ふとそう思い至ってスマホを空に向けた。

虹があった。

5階建てほどの小さなビルの屋上から、通りを跨いでこちらは10階建ての大型施設の陰へ。途中で途絶える所のない、完全な弓だった。

いつぶりだろう。少し惚けて、それから2、3回シャッターを押す。カメラの画質にまた少し落胆して、そのままポケットへ。誰かに言いたくなって、ホームに知り合いがいないか見回した。

思ったより近く、自分の後ろに電車を待つ人が並んでいて驚く。が、先方の目線はスマホに釘付けであり、こちら、まして虹など気づいてもいないようだ。右を見ても、左を見ても、同じようなことだった。

知り合いはついぞ見つからなかった。放課後すぐに学校を出てきたためだろうか、同じ制服すらあまり見えない。諦めてもう一度空を見上げた。

消えかかっている。

右側からだんだんと薄く。左側の根元の部分が鮮やかであることに気が付いて、そこを見つめていた。虹はだんだん消えていく。大きな弓が小さな和櫛のようになって、とうとうただの青空に戻る瞬間までを知った。

灰色の電車が止まって、ドアが開く。

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