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言葉に苦しめられるならfeat.般若心経

言葉に実態はない。

看護師はよく「良いうんちが出たね。きれいなおしっこが出たね。すっきり痰が出たね」
と恐らく多くの人からするとうんちや尿はばっちぃし、痰も出来るだけ見たくない。
私も道端でうんちや痰の塊が落ちてたら、あまり見たくないが、不思議なことに仕事となると性状や量をまじまじと見る習慣がある。

つまり、「汚い」も「きれい」も言葉として実態はなく、捉え方しだいだなと思う。

捉え方次第

例えば買い物をして財布の中身が減ったとする。
財布の中身を見るとお金は減るので、残念に思うが、買い物で買った分の物は増えているわけで、
お金が減ったor欲しい物を手にいれた
と捉え方次第でネガティブにもポジティブにもなる。

上か下か、善か悪か、勝ちか負けか、成功か失敗か

言葉は実態がない。だから言葉によるレッテルで苦しむ方がいたら、上のような二極化する言葉以外で表現してみてはいかがだろうか。

あいつより下ではなく今は成長過程なだけ。
私が悪いのではなく環境にも問題があった。
負けたのではなく糧にする材料が欲しかった。
失敗できたから、成功を学ぶことができた。

言葉は実態がなくとも、胸に刺さり自分自身を形作る材料になる。だからこそ、言葉での救いが必要。言葉を自由に言い換えて、「ただ苦しむ」ことから心を穏やかに過ごして欲しいなと、般若心経を学んだ私からのお願い。

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