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「死」への考え方

私の立場から

看護師歴8年になると様々な、「死」に向き合うことがある。「死」に近づく患者がなるべく苦痛のないよう安らかに旅たてるよう看護技術を学んできたつもりだが、今日は看護技術は置いておいて、自分自身の死生観について書き出してみる。

様々な言葉

①とある患者さんは骨折しても元気に「もういつ死んでも良いんだけどねー!ガハハ」と笑う。

②とある患者さんは難病を患い「早く死にたい」と泣く。

③しかし同じ難病を患う患者さんは「やりたいことがあるんだよね。」と痛みをコントロールしながら筆を取り、また別の人は「死ぬのが怖くて仕方ない」と言う。

死のパワー

それぞれに「その想いはどこから来るのか」聞いたことがある。

①、③の方からは「やりたいことをやり尽くしたから・同じ境遇な人の心の支えになるかもしれないから」
②の方からは「ただただ苦痛に耐える日々が辛いから」等であった。

この言葉を聞いて
①人生を振り返り紆余曲折もあったがそれでも良かったと自己評価=総括している。
②生きることに絶望し、死すら救いに感じている
③生きる中に希望を見いだし、やれることを考えている

と私は勝手に分類した。

人生のゴール設定は人それぞれだが、必ず訪れる死を人生の締め切りとして意識した時、今の自分に何ができるのか考え行動できる。
死には良い面悪い面どちらにもパワーが宿る。

一概にタブー視するのはいかがか。

一般的には生は善、死は悪と捉えられ、自殺は絶対ダメと言われており、死について語ろうとするとまるでそいつがやべぇ奴とも言わんばかりに排他される。

私は看護師として、苦痛を取り除くべく行動するが、患者の「死にたい」という気持ちは否定できず、そのままを受け入れる。
どんなに小さくても、希望を見いだせるような声かけは常に考えなければならないが、同じ苦痛を共有できない私の言葉など、当事者に何が刺さるのか。その答えを持ってる人がいたら是非伝授してもらいたいし、この先も学び続けなければと思う。

自殺はダメ、未来に絶望し死にすらすがりたくなる状況の人に対しては私は言える勇気がない。
「そう思うほど、辛い状況なんですね」と共感する姿勢を持ち続けたい。

だからもし今死にたいと思う人がいるなら、とにかく話して欲しいと願う。その相手が仮に私であれば、聴くことだけに意識を傾ける。もしかしたら死ぬときは「今」じゃないのかもしれない。

一方で死が怖い人は

もっと良い人生がある、まだまだやりたいこと、やり残したことがある、未来への希望や願望を持っている人なのでしょう。

確かにこの想いが、略奪されてしまったら……私も怖い。

なんとなく、この怖さは「災害」と似ていると思う。台風のように予測できる災害もあれば、地震のように予測できない災害もある。そしてその災害はたくさんのモノを奪っていく。であれば、備えることが必要かと思う。

その備えは、後悔しないために自分に嘘をつかないとか、日頃から感謝を伝えるだとか、やりたいことを明確にするだとか、色々考えつく人もいるかと思うので自分なりの答えを実行して欲しい。(災害への備えも大事だよ。)

最後に

「死について」著者のシェリーケーガンは、
死は夢を見ずに眠っている状態とし、お腹の中の赤ちゃんの頃には人格なんてなかったと話す。つまり既に死の感覚は経験済みだから必要以上に怖がらなくても、焦らなくても良いと言いたいのだ。

そしてあなたが死んでも世界は少しの違和感を残すが基本変わらない。だからこそ、あなたはあなたの人生を生きて欲しいと願っている。

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