映画:僕の好きな女の子

『劇場』と原作者が同じだという繋がりで、昨晩、観に行った。

又吉直樹の文学世界は、しばしば井の頭沿線が舞台となる。

それが余計に身に染みるのかも知れない。

多分、この映画のロケに僕は遭遇した事があるな、と観ていて思った。

冒頭の待ち合わせのシーンだ。

その時は、大して興味もわかなかったし、何より野次馬になるのだけは御免だと思ったから、全くの無関心を装って、足を止める事もなく、平生通りに通り過ぎただけだった。

改めて、普段自分が日常的に通る道、いや、生活の一部と化している空間が、映画館の画面に映し出されるのを観ると、実際よりよく見えるものの筈なのに、この映画では、実際と余り変わらない様に思えた。

主人公も、劇場の時の嫌な奴とは違って、今度は、限りなく好い人。

それ故に、端から見れば、どうにも歯痒い、決断力のない人。

やっぱり何かから逃げて生きている人。

とても観ているのが辛い映画だと思った。

まるで自分が詰問されている様な気分になったから。

共感できるな、と客席から見物をする事は許されず、ひたすら自分の本性を暴かれ晒される事に、じっと耐える心情だ。

彼が否定される事は、そのまま自分が否定される事だと悟った。

勿論、それは一観客の勝手な共感に過ぎないのだけれども、映画が終わって、辺りが明るくなるのが怖かった。

多分、そんな気分になった人は、他にもいたに違いない。

映画館からの帰り道は、その半分くらいが、映画のロケ地となった場所となっている。

夜も更けているので、あのベンチにでも座って、少し感傷にでも浸って帰ろうか、と思って階段を降ったら、まだまだ夏休みの賑やかさで、あちこちで、人々が楽しそうに花火をしていた。

だからまた、無関心を装って、平生通りに、足も止めずに通り抜けるのみ。

井の頭公園駅の前も通り過ぎ、すっかりひと気のなくなった所で空を見上げれば、ポツポツと星が輝いていて、綺麗だった。

東京の夜空の星屑ですら、どんなに人間が端正込めてつくったものよりも美しく思えた。

それは、結局、星は遠く手の届かない所のものだからじゃないのかな?

すっかり、ロケ地を通り抜けたのに、映画の余韻は抜け去らない夜である。

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