音楽の孫

音楽の父である大バッハ、セバスチャンには、子供が20人おり、その内、4人の息子が音楽家として活躍した。

上から、フリーデマン、エマヌエル、クリストフ・フリードリヒ、クリスティアン。

一番才能に恵まれたものの、溺愛された為か、将来を嘱望された為か、人格的に難しい面があったらしく、何かとエキセントリックなフリーデマン。

最も音楽家として大成して、洋楽に新しい時代を築く礎となった、知性派にして革命家のエマヌエル。

ある種、ドイツ土着の音楽一家であっあバッハ家にあって、唯一、イタリアに飛び出して、後にロンドンに渡り、超売れっ子音楽家となった、陽気な末っ子のクリスティアン。

この三人は、生前からとても高く評価され、エマヌエルやクリスティアンの名声は、父セバスチャンを超えてすらいた。

この中にあって、クリストフ・フリードリヒ・バッハは、堅実というか、地味で平凡とみなされる事が多く、それは、生前も今でも、余り変わりがないというのが通説だ。

クリストフ・フリードリヒの功績として、最も頻繁に語られるのは、大バッハの孫で、唯一音楽家となり、大音楽一族の輝かしい系譜に終止符を打った、ヴィルヘルム・フリーデマン・エルンスト・バッハの父親という具合である。

そして、今日の主役、フリーデマン・エルンストは、モーツァルトの息子、フランツ・クサヴァー・モーツァルト程ではないけれども、一般的には、才能が乏しい人と目されており、余り、作品を聴く機会がない。

アマデウス・モーツァルトとほぼ同世代ながら、中々に長生して亡くなったのはモーツァルトの息子よりも後だった。

もっとも、音楽家として活躍したのは前半生だけだったらしく、長いこと隠居生活を送っていたらしい。

実際、遺された作品を聴いてみると、如何にも、早々に隠居しそうなものがある。

孫バッハの音楽は、今でも、CPOというドイツのレコード会社からアルバムが1枚出ているくらいのものだから、全貌は全く分からないのだけれども、聴き得る限りでは、大変に器用な練達の筆致で、バランス感覚に優れて齟齬がなく、そして、少々、オールドファッションな趣きながらも、新時代の空気も拒絶はしていない。

新しい道を切り開ける才が己にない事を、誰よりも痛感していたに違いない、そんな才人。

過ぎてしまえば、最先端も時代遅れとなる時系列の中にあっては、フリーデマン・エルンストの音楽は、寧ろ、劇的な進行の巧みさや、洗練された宮廷趣味と大衆娯楽の融合の妙味から、18世紀後半の音楽、所謂、クラシック音楽の総括を聴くような想いすら沸いて来る。

お祖父さんがバロック音楽を総括して音楽の父とまで称されている事に匹敵する大才とは言わないけれども、孫は孫なりに歴史というものにきちんとけりをつけているのが、如何にも人間的というか、因果じゃないか。

ベートーヴェン達が音楽をどんどん壊して行く横で、瓦礫を片付け、広げた風呂敷を丁寧に畳んでいる。

世襲とか血筋に何か価値があるとするならば、こういう仕事の連綿性、個々の才能を軽く凌駕する時間軸の圧倒的な蓄積にこそある、と言ったら、余りに大和魂だな。

雅楽の楽士になった同級生が、世襲家には、何代も詰まらない当主が続いても、絶えなければ、時々、とんでもない大才が現れて、それはとても個人の才能ばかりとは思えない、という事を言っていた。

どちらかと言えば能力主義的な面を持つ才人に、そんな事を言わせてしまうのは、事実の正確な分析というではなしに、連綿性に不意に一個の人間が出会した時に起こる、とても素直な感嘆であって、途方もない蓄積に圧される重苦しさにも他ならない。

そして、その重さを聴くのが、古楽を今に引きずり出す醍醐味じゃあないか。

最近、女王蜂のライブやPENGUIN RESEARCHの新譜に魅了されて、すっかり今様な気分であったので、バッハ家最期の楽人の音楽が、無闇矢鱈と美しく、心に響いてしまった様だ。

これもまた、聴き手の耳の蓄積の罠である。

誰もが誰かの孫たるが、生命の本分なれば、ヴィルヘルム・フリーデマン・エルンスト・バッハの音楽に情を寄するは哲理なり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?