考え事
何か考え事をする時、エアコンのついた部屋に布団を敷いて横になるのが常だ。
眠くなれば勝ち、ならなければ負け。
考えるという事は、起きているという事であり、負けである。
いや、横になっているのだから、起きてはいないか。
睡魔に襲われては負けかも知れない。
けれども、魔物を自ら呼び覚まして、手を組むともなれば、これは勝敗というよりは、殆ど契約だろう。
呼び覚ましておいて寝るのだから、やっぱり、凡夫のやる事は、中々、倒錯。
何れ、座禅も組まなければ、机にも向かわず、散歩に出掛けたりもしない。
せめて、重力には屈したい。
そうやって至った考えが平穏なのは当たり前だと思う。
そもそも、大抵は至らない。
市井人として、これは中々都合がよい。
そして、相当に陸でもない。
ただ、陸でもない人間は、陸でもない状況が許される時にしか生まれ得ない。
それが可能な時は、誠実に陸でもない人間になっておいた方がいい。
何れ、やりたくても出来ない時は来る。
立派にならざるを得ない、というのは苛烈な事です。
同情しかない。
同情は、対岸の火事にしか出来ないものだから、自宅が燃えた時に、自分に同情する自信は持てない。
同情しないという事は、自らの情動には、僕等は意外にも、平生、抗かっている。
そういう事は、エアコンがないと、中々に、気が付けない。
他人事である、という事は、何かとやさしい事だと思う。
優しいと取るべきか、易しいと取るべきかは、案外に難しく、そもそも違いがないのかも知れないけれども、兎に角、やさしい事だと思われる。
思われれば、最早、考えもすまい。
思いもよらないから、考えざる得ないまでで、思ったら勝ち、考えたら負けだ。
その程度には、僕にも考えはある。
そのくらいには、負けた事がある。
負けを知っている人は強いそうだ。
そりゃあ、睡魔に抗うなんて、最強に決まってるよな。
お休みなさい。
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