素面な喜び

勝ったことの喜びよりも、国中が野球一色になる事の気味の悪さの方が大きかった、そんな正直な感想を言ってしまったら、非国民とは言われないまでも、とても残念な人だと思われそうな空気圧がかかっていたので、無心に喜ぶ事に決めたのだけど、ちょっと、戦争でも始まった様な気分はあった。
大口の事、マジョリティーに対する怖れというものが、どうにも自分の人生には染み付いてしまっているらしくて、祭りは参加するよりも、みんなが楽しそうに集うのを、外から眺めているのが好い。
それに水を差したくないし、内心、一緒に踊りたい訳でもない。
そのくらい、見るという事に、人生が掛かっているらしい。
それに、阿呆は自分だけで十分じゃないか。
踊れぬ阿呆が一番惨めであるのだから、自分はそういう者であり続けたいし、踊りたいけど踊れぬ人がいるならば、そっと背中を押してもあげたい。
勝った事が嬉しくて、皆がそれを一緒に喜ぶのが本当に尊くて、だから、最高に気味悪い。
そんな居心地の悪さこそが、平和というものの本分ではないかと思う。
本当に、勝てて良かった。
アメリカも、野球の聖地とは言っても、優勝したところで、今日の日本国ほど団結して喜ぶ事は出来なかったんじゃないのかな。
そういう、一丸となれるところが、何より良かった。

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