買い物リスト

売られた喧嘩の底値を探っていたら、売り切れてしまったので、仕方がないから、今度は、こちらから喧嘩を売る事にしたのはよいのだけれども、如何せん商機を逸してしまって、元来、商才もないものだから、結局、買い手も付かない。という事がある。

そんな時には、売れなきゃ日銭も稼げない、そんな気分に落ち込んでしまって、すっかり嫌になってしまうところだけれども、よくよく考えてみれば、そもそも、何も買わなかったのだから、少なくとも損はしちゃあいないじゃないか、と思い直して、慌てる乞食は貰いが少ない、無闇な安売りなぞはせずに、果報は寝て待てという事になり、沢山の喧嘩が塩漬けのまま、やがては朽ちてしまう。

けれども、そういう正直な物売りをやっていると、自然、正直な客が少しは付いて来るのが、人の世の義理堅いところであるから、今度は、下らないものは一切扱えなくなってしまって、終いには、損得抜きで徳を売る始末となって来る。

好事魔多し、そんな無茶は長く続けようもないから、いい加減な所で店仕舞いと相成って、残るは惜しむ声ばかり。

その声もまた俄に小さくなって、程なく滅してしまうのが現金な世の定めであればこそ、人情もまた消えては沸いてまた弾け、遂に目覚の時となる。

そんな夢を見たのか、醒めて考えたのかは分からぬままに、今朝の目覚めとなったので、寝起きが悪くって、面倒臭いので、資源ごみを出して、二度寝した休日に、やるべきことはあろうとも、やりたいことなどないものだから、ぐずぐずしている内に昼も過ぎ、一等やらなくてよいことに手を染める。

万事、贅沢とはそういうものであるから、ただより高く付くものは、古より、無くて久しく、時は金なんぞよりも、尚更、価値がありそうで、比べることが浅はかなのだと考えたり、古人の知恵は重かったり、と緩やかに忙しい。

あぁ、今日は休日なのだな、とその辺でやっと身に凍みる、冗談みたい日常に、昨夜の豪雨も去って、曇った日差しが、ジメジメとした湿度を伴って、心地よいのは、クーラーのお陰に相違ない。

そんな休日に聴くべきは、最近、ヘビロテしている、モーツァルトでも、THE ORAL CIGARETTESでもなくって、ちあきなおみかバルトークの音楽だから、間を取って、リストを掛けたら、随分、気分にはまらなくって、好かった。

演目は、超絶技巧練習曲を、演者は、ケマル・ゲキチで。

リストの超絶技巧練習曲は、ラザール・ベルマンが一枚あればそれで良い。

それを確かめる為に、幾つか他にも聴いたことはあるけれども、熱心には聴きたい音楽という訳でもない。

大体、そうやって、決定盤を持っている人が多いのが、超絶技巧練習曲という音楽だから、ゲキチくらい特出したピアノ弾きであれば、当然、賛辞は目にしていた。

ただ、ゲキチのレコードは殆ど廃盤で、ファンが少なかったのか知らないけれども、余り市場に出回らないらしくって、定価よりも高く取り引きされたりしていて、引いてしまう。

そんなものを、わざわざ買ったのだから、好かろう筈もなくって、ハードルが聴く前から高過ぎる。

演奏がどんなに素晴らしくったって、駄目に決まっている。

実際、聴いてみて、ケマル・ゲキチの才能には、魔性の魅力があって、好い。

だから、好くない。

超絶技巧練習曲の演奏としては、必ずしもオーソドックスじゃないけど、踏み外した感じもないのは、偏に才能で、感受性も反射神経も天才というのが分かる。

そういう才能を、リストに聴きたい人は多い。

その神経が、控え目に言ってしまえば、分からない。

リストの音楽を聴くという行為が、好きになれないのも、その為だ。

もっと、個性を棄てて平凡に弾かなくっちゃ、リストは詰まらない。

圧倒的に才能がある人が、当たり前に弾くのが好い。

才能があるってことは、音楽をやる上では、役に立つより、枷になる方が、甚だ多いらしい。

ゲキチが奏でるリストの楽は、そんな悲哀に満ちていて、孤独だな。

だから、きっと、今日じゃないんだ。

休日の気だるい午後に、また一人、素晴らしいピアニストに出会した。

ゲキチの才が、商業録音よりも、圧倒的にライヴに嵌まるのは、動画サイトを見ても明らかなので、今後もCDは買って行こうと思う。

勿論、安く見付けたら。

そのくらい現金に聴かなきゃ、この人の天才は羽ばたかない。

繊細なんだよな、ケマル・ゲキチもフランツ・リストも。

とても、金目で計れる真価じゃないな。

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