アルゴン【掌編小説】
まったく理不尽な世界だ。めくらましで人々から金を吸い取って立ち上げられたニュース番組は連日、某国の軍がクーデターを起こしたというのではしゃいでいる。
無辜の民に振り撒かれる、際限のない暴力。それは自力で避けることができず、抗うことも許されないという点で最も象徴的な、百点満点の暴力だった。
しかし、この世界における暴力というのは、肉体的なものに限らない。言葉の暴力というフレーズが普及して久しいこの頃、どうやら精神的な暴力もあるらしいぞと世間がようやく認識しはじめたらしいが、まだかれらの気づいていない暴力の形というのはこの世界にごまんと溢れている。それらは時に「正義」として、さも正当な行いであるかのような面をしてまかり通る。
よく「かわいいは正義」というが、正義というのは正当性を持った暴力として行使される。この社会を跋扈する「かわいい」は、もはや暴力なのだ。
そういう理不尽な事柄がこの世界には蔓延っている。理不尽。そう、理不尽だ。僕はこの理不尽という言葉を何よりも嫌悪している。
どうせ誰にも聞かれないため息をついて、テレビの電源を切った。このテレビは僕以外、我が家の誰も観ることがない。みんな愛想を尽かしたんだ。当の僕も大してテレビは好きではないけれど、気に食わぬままなぜか観続けている。
暗くなった画面に、ぼんやりと自分の顔が映った。理由もなく不細工だった。
そしてその理由のなさゆえに、僕が身を置いているこの苦しい現状から逃れるのは到底無理なことだった。
学校へ行けばいつもの男女数人、名前も覚えていない人たちからなぶられ殴られ金を取られ、金がなければもっと殴られた。当然蹴られもするし、ロッカーの鍵を壊され中にあらゆる汚い物体を収納されたり、着替えて体育の授業を受けている間に制服を洋裁鋏かなにかで切り刻まれたり、そういう単純な類いのいじめらしきものはひと通り受けてきたつもりだ。
でも特徴的なのは、彼らのそういう行動はそこまで陰湿さを含んでいなかったことだ。偏差値の低い学校だからなのか、ともかく自分の保身などは考えておらず、どこまでもパワープレイで、力というものを愛しているようだった。その力を行使する相手は実際は誰でもよくて、たまたま僕が「不細工」という明快な弱さを抱えていたために狙われただけなのだ。
現状を打開するために、相談できるところには相談した。反応は面白いほど揃っていた。
「あなたにも原因と責任がある」
「見方を変えてみたらどうか」
障害者や性的マイノリティには優しくするくせして、誰も不細工には優しくしてはくれない。
まあ、気持ちはわかる。本当なら不細工を直せばいいのだろう。そもそも不細工というのがある程度努力によって改善できるからこそ皆それをしない者に冷たいのだろうし。
けれどどうにもそれは納得できなかった。努力するための体力が、僕にはないから。
あ、一応不細工な僕にも優しくしてくれる人たちはいた。それは僕の家族だ。家族だけは、僕がどんなに不細工でも衣食住を無償で提供してくれたし、何より愛してくれた。
まあ、家族でない不細工には当然優しくない人たちだったから、僕は許されている気がしなかったのだけれど。
あるとき、僕は思った。
学校のあいつらを、再起不能になるまで打ちのめすことができれば、僕はこの理不尽に打ち勝ったということになるのではないか。
それは荒唐無稽な思いつきだった。けれど、いちどそう考えはじめたら、もう他のことが何ひとつ思い浮かばなくなってしまった。
こう言うと人の命を大事にするタイプの方々に怒られてしまうかもしれないが、今の僕には、実は失うものが何もない。というのも、完璧な衣食住はあるにせよ、そういう僕が獲得しているもの全ては、この人生の上で全く無意味だからだ。どうせ僕にこの不細工は直せない。そして、そんな恒常的な不細工に行き場があると信じることは、極めて生産性の低い信心だ。
僕はそれを、この世界で十数年過ごしてようやく理解できたんだ。
あいつらを殺して全部終わりにしよう。もうこの人生に希望なんて言葉は似合わない。死なばもろとも。これは僕の座右の銘だ。
◇
「理不尽に襲われる民衆」。画面の右上に現れたその見出しの語感には、俺は妙な覚えがあった。
しかしまあ、あいつらも災難だったなあ。いきなり金槌で襲われるなんて、理不尽にもほどがあるじゃないか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?