器用な友達

「あいつ、うまくこなしてしまうヤツなんだ」。ある日彼は、親友についてそう話しました。私はその人に会ったこともあるし、よく知っていたので、ああ、なるほどなぁ〜と思って聞いていました。自慢の親友、というよりその時は羨ましい、といった感じのトーンで。

私は彼が物凄い天才的な音楽家だと思っていたため、正社員として職に就く親友を羨ましがることが意外でした。その親友は自分が最も得意だと思う音楽の事も少し教えればある程度できてしまい、着る服も、持っている物もおしゃれ。おまけに彼女もかわいい。「学校で絵を描くと、あいつ、上手いんだよね」少し考えて、「ねえ、絵ってどうやって描くの?」。凄い質問をしてくるものだなぁ、と思ったものです。それに対して私はなんと答えたか、忘れずはっきりと覚えています。「丸とか三角とかを丸とか三角に見えるように正確に描く、複雑な絵もその積み重ねじゃない?」。でも、ドとかレとか、テンポを正確に演奏するだけが本物ではないって思っているんでしょ?あなたはそのままでいいし、だから素晴らしいんだ、そう思ったのだけれど、この流れでは親友を否定するような気がしたし、真剣に悩んでいる様子だったので水を差さずに口には出しませんでした。

親友は、アーティストにはなりませんでしたが、いろんなことに対する感覚がとても鋭い人なのだと思います。当時の私は実際にアーティストになる人は、その全てに対して器用である必要はない、と思っていました。しかし、思えば俳優さんが音楽をやったり、音楽家が絵を描いたり、凄い所にいる人は事実、器用なようなのです。彼はその事で悩んでいたのか、と思うとあの日の会話は脆く一瞬でなかったことになってしまうような気がしました。

「結局は運」でしかないのか、とは思いたくないけれど、そういった才能の開花の問題は、人生をかけて考えなければならない、アーティストは永遠に追い続けなければならない問題なのでしょう。ただ、まっさらに考えて、私は彼が誰よりも好きだし、親友も彼のことが大好きで、私もその親友のことが大好き、それだけはだけは確かだな、と今思い出してもそう思います。