9. 〈いじめと人格形成〉こうじゃなかったらよかったと考えること
こんにちは。
多分私は、自分の中の考えが腑に落ちないというか、ずっと迷うから、こうして文章を書いているんだと思う。でも、人の考えは流動的だよね。さっきまで生きたくても、数分後には死にたかったりするし。
「こうじゃなかったら」と考えることがよくある。
小学校の時いじめにあってたんだけど、それがなかったら、もっと自分を信じてあげられる性格だったかなと考えたりする。(仲間はずれ、聞こえる場所で悪口、冷笑、無視、ペア組んでくれない、図工の作品壊される、持ち物切られるなど。身体的な攻撃は受けてません。)私がおかしいんだ、私が我慢しなきゃ、生きる場所ないんだって小さい時に思っちゃうと、辛いものです。
でも、最近、いじめられたから矯正されたなと思うこともある。いじめ前は、結構自分の主張をするタイプで、いじめられてからは、意見を飲み込むようになった。人の意見を聞くのがもともと苦手だったから(今も得意じゃないけど)自分の意見を出さないことで、他人の意見を聞く間が作れるようになった。そんなような気がする。
でも、影響は受けやすいので、本当の自分の気持ちや意見が消えすぎるので、意思が「生き埋め状態」になる。それがつらいよね。
それでも、人の話を聞かない人より、聞ける人の方が信頼はあると思う。
結局いじめにあっててもあってなくても、どっちがいいかわからない。
それに、もう変えられない。起こってしまったから。
今のこの状態で、いい。というか、認めるしかないんだと思う。
今世は修行って、中華街の占い師も言ってたのでね。
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