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意識はどんなときにも等しく存在していますが、気づきによって登録される情報は焦点の影響を受けます。

『I<わたし>真実と主観性』 75-76ページ

【Q:『コンテント(内容/中身)』と『コンテクスト(文脈/状況)』の意味と、このふたつの関係を教えてください。】

A:これは、きわめて重要な質問であり、真理へと続く戸口のまさに核心に迫るものです。このふたつは、恣意的ですが、視点を表す大変重要な言葉であり、超越するまでは有益なものです。

しい‐てき【恣意的】
〘形動〙 気ままな、自分勝手なさま。 自分の好きなようにふるまうさま。 論理的な必然性がないさま。

コトバンク

コンテント(内容/中身)は恣意的な焦点であり、そこに含まれるデータや形の総量を指します。コンテクスト(文脈/状況)は、コンテント(内容/中身)以外のすべての全体性を指し、それは暗示された、あるいは特定の範囲であったり、神や宇宙全体のように、まったく限定がなかったりします。

たとえば、あなたが特定の星を選んだとします。(「A」星)、するとそれ以外の銀河系や進化の歴史を含めた天空全体がコンテクスト(文脈/状況)となり、観察者もそれに含まれます。次に別の星が観察対象となれば(「B」星)、(「A」星)は(「B」星)のコンテクスト(文脈/状況)全体の中に含まれます。したがって、コンテント(内容/中身)とコンテクスト(文脈/状況)は個々に区別されるもの、あるいは固有の性質ではなく、観察者の意識を反映しているにすぎません。

つまり「線形」や「非線形」という言葉も、思考の分類であり、知的解釈の焦点にすぎません。形は、その基底として無形を含んでいるので、互いは分離していません。意識はどんなときにも等しく存在していますが、気づきによって登録される情報は焦点の影響を受けます。

超越的な状態では、すべては継続的です。名称や表示は単に見かけ上のものであり、本来は何ものも分離してはいません。すべては自明的で、おのずと光り輝いており、それを適切に言葉で描写することはできません。「シヴァのダンス」は経験であり、概念ではありません。

通常の意識状態では、自我(エゴ)/自己の”わたし”がコンテント(内容/中身)であり、意識/気づき/神/「自己」がコンテクスト(文脈/状況)です。暗黙のコンテクスト(文脈/状況)はたいてい、目に見えるコンテント(内容/中身)よりも結果に対して大きな影響力を持っています。

『I<わたし>真実と主観性』デビットRホーキンズさんの本の、たくさんの長い文章を発信していますが、何回も何回も、繰り返し繰り返し読むことによって、分かってくることがあります。

一人ひとりが、この地球に大きな神の愛で生かされている存在です。

人類が悩み苦しみを生み出すようなシステムは無くし、お互いが愛が基盤の気づいている心の立ち位置で、みんなが平等に安心して生きて行けるシステムを構築していきましょう。

一人でも多くの人が、生まれ持った真理がすでに有ることに気づけるように発信しています。すべてはベストタイミングなのでしょうが、気づく人が増えるほど、愛の世界がはやく具現化されていくと思っています。


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