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クロスオウヴア 17

■■■ DNA 4 ■■■

「本日よりホームページ上において、解読されたDNAのすべての情報が公開されていますが、中野教授はこのことをどうご覧になりますか。」

「私も先ほどそのホームページを見て参りましたが、いやあ正直言って驚きましたね。」

「ほう」

「本当に詳しいデータまですべて公開されているんですよ。」

「詳しい?」

「ええたとえば・・・そうですね、発生における個体の特徴を決めている遺伝子を原因遺伝子といいますが、その原因遺伝子の位置が物理地図と遺伝子地図の双方であらわされ公開されています。」

「物理地図と遺伝子地図?」

「物理地図は実際の分子上の距離を表わしているものです。距離の単位は塩基の数で表わします。遺伝子地図は、遺伝という操作が行われるときの遺伝子の相対距離を表わしています。距離の単位は遺伝においての確率で表わされます。で、原因遺伝子がそれらの地図上に表わされているということは、たとえば人間の髪の毛の色を決定している、つまり髪の毛にどれだけの色素を送り込むかという事を決定している遺伝子が、二十三対のヒトの染色体、内一対は性染色体といわれ、男女の生別を決めているのですが、その何番目の染色体のどの部分にあるかということが明らかにされたということです。髪の毛の色素に関する遺伝子だけではなく、すべての遺伝子がどこにどういう塩基配列で存在しているかが公開されています。」

「難しくって、ボクわかんないな。はは。えー、遺伝情報が解読され原因遺伝子が特定され、そしてそれが一般に公開されたということですね。」

「はい。」

「ということは、ある人の遺伝子を検査し、このホームページと照らし合わせれば、その人がどんな顔形でどんな体つきでどんな能力をもっているかなどがわかってしまうということになるのでしょうか。」

「外見や身体機能についてはほとんどわかりますね。姿かたちだけではなく、脳の構造もDNAにより決定されますから、おおよその性格や行動様式なども、DNAを見れば分かるといえるでしょう。また、おそらくテレビをごらんのみなさんの最も関心の高いだろう病気の原因についても、遺伝に因る病気についてはどの遺伝子が関与しているかが完全に分かったということですね。」

「ということは、生まれもってどんな病気にかかるかがすべて分かっているということですか。」

「いえ、すべてではありません。例えば細菌やウイルスに因る病気は、かかりやすいかかりにくいの違いが遺伝に因っても生じますが、ほとんどが環境の影響が原因です。気温や湿度、細菌やウイルスの有無ですね。また遺伝病であっても食生活に因って発現の仕方が変わるものもあります。しかしある病気について罹患、発病する確立がゼロなのか百なのか、四十パーセントなのか七十パーセントなのか、それははっきり言えますね。また、生まれる前に、この父親とこの母親から生まれる子は、こういう病気になる遺伝子をもつ可能性が何パーセントありますよ、というところまで分かったということでもあります。本人のDNAを調べればもちろん、生まれる前でも両親の遺伝子を調べればある程度の予想はできるということです。」

「これは大変なことだと思うんですが、そのすべてのデータが公開されているということですか。」

「そうです。簡単にいえばその塩基配列の地図が、役割の解説と共にアップロードされているということです。」

「それは膨大な量のデータでしょうね。」

「確かに膨大なデータですが、しかし三十億の塩基対のすべてが遺伝子ではありません。」

「え、DNAイコール遺伝子ではないのですか。」

「ええ、高等生物ではDNAの一部にしか遺伝情報は書き込まれていません。ほとんどが生体の機能に無関係です。バクテリアなど下等な動物はDNAのほとんどが遺伝情報を担っています。ヒトの場合三十億すべてが遺伝情報ではありません。しかし、まあ膨大なデータであることは間違いありません。」

「海外ではその解読した情報を特許として認めようという動きがかつてからありますが、それについてはどのようにお考えですか。」

「うーん、この遺伝子という分野は限りない可能性を秘めていますから、利益を得るためにその情報を独占しようとするのも分からないではないんですが、私は反対です。やはりこれは人類共通の財産として公開した日本チームの姿勢をほめるべきだと思いますね。」

「では、今回のこの情報の公開は大きな意味があるということでしょうか。」

「情報は公開された以上みんなのものですし、もう隠すことはできません。政府も特許を認めない方針だということですから、これを独占してどうこうしようというのは、もう意味のないことなるでしょうね。ですから他の国々もいずれ日本の方針に追随せざるをえないのではないでしょうか。」

「そしてそれがホームページにアップロードされていつでも誰でもが見ることができる。」

「画期的なことですね。」

「大変画期的で素晴らしいことですが、同時に社会的に大きな問題を含んでいるとは言えませんか。たとえば、結婚前に遺伝子を調べて、あなたはいい遺伝子、あなたは悪い遺伝子なんて、遺伝子による社会階層が出来る可能性っていうのはありませんか。」

「もちろんあります。DNAによる新たな社会階層が形成される可能性はあります。また、それよりもっと真剣に考えなければならないのは、人間がDNAの配列を操作して、自分の希望する性質をもった子どもを作ることが理論的には可能になったことです。」

「いわゆる『デザイナー・チャイルド』ですね。」

「そうです。人類に有用な例をあげると、遺伝病に関してはほぼ完全に撲滅できます。また体の各部分例えば内蔵、循環器、筋肉、皮膚などの機能を強化すること、機能を長らえることができますので、結果として寿命をのばすことができると言えます。」

「不老長寿が可能ってことですか。」

「いえ、不老長寿はまだ無理です。しかし平均年令は大幅にのびるでしょう。」

「百歳とか百二十歳とか」

「理想的な人間をデザインしたとすると、百五十歳くらいは可能なんではないでしょうか。」

「ボクが今五十ン歳だから、百五十歳っていうと、三倍。今の人生をあと二回繰り替えさなくっちゃいけないのか。そんなには生きたくはないや。ボクは八十歳くらいで十分です。」

 キャスターの冗談を無視するかのように、教授は続けた。

「また、一部の機能に特化して遺伝子操作をすれば、例えば足の筋肉や心肺機能を高めた子供を作れば、世界新記録を出すような陸上選手を作ることも可能でしょう。」

「サッカー選手でも、体操選手でも・・・」

「もちろん可能でしょうね。」

「じゃあ、脳の機能を強化して、天才的な数学者を作るとかは」

「論理思考に優れた脳を作ることは可能です。その脳の持ち主が数学を好めば数学者になるでしょうし、哲学を好めば哲学者になるでしょう。足の筋肉の優れた子を作っても、その子が陸上競技を好まなければ、世界記録は生まれないでしょうし。」

「じゃあ・・・えー、こんなこと言ったら世の女性に怒られるかな。スタイルが良くって、目鼻立ちが整っていて、優しくって控えめで献身的な女性を作ることもできますか。」

「性格については環境の与える影響も大きいので、望み通りになるかどうか断定はできませんが、姿形についてはほぼ百パーセント、理想の女性を作ることができるでしょう。ま、もちろん、それを美しく保つ努力は必要ですが。技術さえ確立してしまえば、だれが止めようと政府が規制しようと、そういう子供たちはどんどん作られるでしょうね。」

「ボクも遺伝子操作してもらって、理想の女性が出てくるまで、あと五十年くらい長生きしようかな・・・」

つづく

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