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「名言との対話」 4月24日。小出義雄「メダルのために人生があるのではない。あくまでも人生のためにメダルがあるのだ」

小出 義雄(こいで よしお、1939年4月15日 - 2019年4月24日)は、陸上競技の選手。マラソン・中長距離選手の指導者。

陸上強豪の順天堂大学で箱根駅伝を走る。卒業後、高校教員になり、1965年から陸上部監督として23年間の指導者生活を送る。1988年、リクルート・ランニングクラブ監督に就任し、有森裕子の1992年バルセロナ五輪女子マラソン銀メダル、1996年アトランタ五輪銅メダルと連続メダルの獲得を指導した。1996年、積水化学女子陸上競技部監督に就任。1997年、鈴木博美が世界選手権金メダルを獲得。1998年、高橋尚子が名古屋国際女子マラソンを日本記録で優勝、アジア大会で優勝。2000年名古屋国際女子マラソン優勝。同年、シドニーオリンピックで高橋尚子が女子マラソンで日本史上初の金メダルを獲得した。マラソンの名指導者である。

『君ならできる』(幻冬舎)を読んだ。小出は「出会い」の重要性を語る。有森裕子は「ただの人で終わりたくない。練習は好きではない。強運の持ち主」。鈴木博美は「人に負けるのが絶対に嫌い」。高橋尚子は「リクルートで6番目の選手。練習の虫。手を抜かない。一所懸命」と評している。こういう素質を持った選手は優れた指導者との出会いによって、大きく飛躍する。出会いが大事なのだ。そのことは指導者自身にもいえる。選手という素材との出会いが指導者の器を大きくするのだ。

小出監督は優れたランナーを継続的に世に送り出している。それはバルセロナ、アトランタ、シドニーと3つのオリンピックで連続して教え子がメダルを獲得しているという快挙からわかる。それは「小出マジック」と呼ばれた。

教員時代には「これからのスポーツも女子の時代になる」と考え、後発の女子スポーツの専門家になろうとした。「他人を超えるには自分独自のやり方、考え方を実行しなければならない」と、日夜その道を突き進んだ。その蓄積の上に偉業が成ったのだ。「修業している者に自主性は必要ない」「私は 選手の食生活まで気を配る栄養士でもある」「懸命に努力しつづけているから、運も回ってくる」。このような考えを持つ小出自身は小出マジックについて次のように解説している。

・私の教え方は夢と希望を持たせることです。「勝てるよ、世界一になれるよ。お前なら絶対出来る!」と毎日誠心誠意言い聞かせると心が通じて人間の脳は「なるほどな!」となるわけです。

・焦らなくていい。大きな山はゆっくり登れ。

・本当に陸上が好きなら、神様が同情してくれるくらい好きにならなきゃいかんよ。

この本の中で、小出は高橋尚子について「大舞台でも、ぶっちぎりの優勝の瞬間が見られるかもしれない」と語っている。結果に自信があったことをうかがわせる発言だ。

この本の「あとがき」(2000年9月18日付)の最後に、「いよいよ運命のレースのスタートまで、あと一週間。高橋は本当によく辛い練習に耐え、強くなってくれた。私たちはやるだけの事はなしたと思う。あとはまさに天命を待つ心境である」と書いている。

そして2000年9月24日のシドニーオリンピック女子マラソンという大舞台で、高橋尚子は金メダルに輝いたのである。この本の発刊は10月5日で、私が読んだのは10月20日の第6刷だ。発行者・見城徹の幻冬舎の賭けも成功したのだ。

有森裕子も、高橋尚子も、メダルを終着駅とはしていない。それを契機として一気に飛躍し、人生のメダルに向かって力走している姿をよくみかけるようになった。小出義雄は2019年に亡くなっが、その影響は長く続いている。

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