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「名言との対話」 5月1日。澤田政廣「私は詩を彫刻にしてきたんだ」

澤田 政廣(さわだ せいこう、1894年8月22日- 1988年5月1日)は、彫刻家。

熱海の廻船業、製材業を営む家に生まれた彫刻家。1894年生まれで、1988年に93歳で没した。熱海名誉市民第一号。文化功労者、文化勲章受章者。93歳では勲一等瑞宝章。

2005年に熱海の澤田政廣記念美術館を訪問した。
文化勲章令(1937年)で「文化の発展に関し、勲績卓絶なるものに賜う」とあり、2001年までに307名が受賞していた。彫刻部門では、澤田が東京美術学校彫刻家で師事した朝倉文夫が第一号だ。澤田が受賞した1969年11月の同時受賞者は、今西欣司(77歳)、堀口大学(87歳)、中村歌右衛門(62歳)で、その写真が飾ってあった。澤田政廣は74歳。

    「日本国天皇は○○に文化勲章を授与する
     皇居において璽をおさせる

          内閣総理大臣 竹下登」

澤田の彫刻作品では、隠者(役行者・いんじゃ)、銀河の夢、白日夢、紅衣笛人、神通、人魚、産業戦士、聖徳太子、長嶋茂雄選手の像などをじっくり鑑賞した。長嶋の書「洗心」も飾ってあった。
絵描きになりたかったのだが、彫刻家になった澤田は、彫刻、絵画、書、陶芸、版画などにも取り組んでいる。ブロンズ彫刻全盛時代に木彫による新方向が注目された。仏像、神像、人物像を多く彫った。巨大な一つの木からノミ跡を残しながら像を掘り出していく技法を持ちいた。

この彫刻家は言葉がいい。

・生命ある芸術作品には形で表すことのできない詩魂と、一種の音楽的諧調が必要である。彫刻家であり、画家であり、そして詩人で、音楽を解する作家で私はありたいと思います。
・芸術も宗教も一つだった。それが分かれた。美しい心を求めて行くのが宗教で、技術を使い物を創造して行くのが芸術です。しかしその美しい物には美しい心がこもっていなくては芸術作品ではない。
・日本の水墨なり絵は速度があるんです。速度というものは年をとるほど勢いがよくなる。
・芸術は息です。吐いたり吸ったりする空気の中に美の世界があるか否かがすべてを決定します。それが芸術家の生涯なのです。
・どこまで気力と生命が続くか、大いに試そうと思っています。
・芸術は外形ではなく、呼吸している生命をもった作品をつくることが大切です。
・何でもやってみるもので、発見というものはものを見て、形を見てというのはできないことだ。それはもう出来てしまった過去のもので、発見のためにはあらゆる分野を会得しなければいけない。
・苦しい中でやるということ、これはただ気力の問題です。人間というものはどんな場合でも、自分を見限ったらもうそれでおしまい。命がけになれば、どんなことでもできる。

冒頭に掲げた「私は詩を彫刻にしてきたんだ」は、次のように続く。「内面から湧き出るもの、腹の心底から出てくるもの、それを時代に即応した新しい形式で発表する。それが私の仕事だ」。「それが私の仕事だ」と高らかに宣言できることに感銘を受ける。澤田政廣の彫刻から「お前の仕事は何か?」との問いかけが聞こえてくるようだ。

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