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「名言との対話」9月15日。金森久雄。「経済学者は歯医者のようなものであり、世の中の問題を解決するような存在でなければ意味がない」

金森 久雄(かなもり ひさお、1924年4月5日 - 2018年9月15日)は、経済官僚、経済評論家。

1948年に商工省に入省。経済企画庁経済研究所次長などで、官庁エコノミストとして経済白書を執筆するなど活躍した。1973年に日本経済研究センター理事長に就いた。1987年会長。1987年『男の選択』で日本エッセイストクラブ賞を受賞している。享年94。

金森久雄は不景気の時も常に日本経済の未来に確信をもって、多くの悲観的な学者たちをしり目に楽観的な展望を掲げ続けた。金森が日経センターに移った1973年に社会人となった私はこのエコノミストには、雑誌や新聞での発言を通じて長い間、勇気をもらっていた。多くのビジネスマンと同様に、私もファンだった。

後輩の小峰隆によると金森の功績は次の3つだ。

第1は、景気分析への貢献だ。日本経済研究センター主任研究員となって、「段階的接近法」という予測手法を導入した。それまでは経験とカンに頼っていた景気予測のプロセスを、いわば「見える化」したものだ。GNP全体の景気動向を推定し、それを構成する項目、その下の項目・分野に細分化し、それぞれの条件を踏まえた予測を行って積み上げ、全体のGNPを計算し、全体の景気動向をくみ上げる。それを繰り返しながら最終予測をするやり方である。全体とそれを構成する部分の整合をとる方式である。

第2は、積極的な景気政策を提案し続けたことだ。特に、不況の際には常に公共投資の拡大を説いた。

第3は、常に日本経済の転換能力を信じていたことだ。1973年の石油危機をめぐる議論では原油の供給不足によるセロ成長論に乗り換えた下村治と論争している。石油の高騰によって石油節約型の産業構造に変化するから成長は維持できると主張した。結果は金森説の勝利となった。

医学の分野には研究医と臨床医がある。研究医は基礎的な研究を積み重ねることで、不治の病や新しい感染症発生のメカニズムなどを解明し治癒や根絶に貢献するなど人類への貢献が仕事だ。一方の臨床医は、医療の現場で患者一人一人の診察と診療を担当する人々だ。医学・歯学・看護学等の医療分野から始まったが、心理学・教育学・社会学・法学等の分野にも臨床、現場を重視する臨床の考え方が浸透しつつある。

経済学という学問にも同様の動きがあり、その先鞭をけたのが、大学で研究する経済学者ではなく官庁や研究機関で研究するエコノミストで、その代表格が金森久雄だった。「経済学者は歯医者のようなものであり、世の中の問題を解決するような存在でなければ意味がない」という金森は、日本経済を患者という人体に見立てて、治療にあたることを使命としていたのである。現場の問題をみつめ、その問題の解決策を考える新しい経済学を標榜した金森久雄が先導し、日本経済を対象とする官庁エコノミスト、民間エコノミストの活躍が始まって今日に至っている。それはまさに実用価値の高い「実学」としての経済学であった。私の行き方も、現場と向き合い問題の解決をさぐることを主眼としてきたから臨床である。実学とは臨床を大事にするということになる。

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