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「名言との対話」5月4日。井筒俊彦「すべてのものの一つ一つが輻輳する存在連関の糸の集中点としてのみ存在する」

井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年(大正3年)5月4日 - 1993年(平成5年)1月7日)は、日本の言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者。

慶應義塾大学卒業後、助手、助教授を経て1954年に40歳で文学部教授。1959年から1961年までロックフェラー財団研究員としてレバノン、エジプト、シリア、ドイツ、フランスなど中近東や欧州などで研究生活を送る。1962年(48歳)慶應義塾大学言語文化研究所教授。1967年(53歳)スイス。エラノス会議会員となる。哲学者、科学者、芸術家、心理学者、宗教学者など世界の碩学が集う人間の精神性を探求する会議で、日本人としては鈴木大拙についで二人目。1979年にイラン革命に揺れるイランから帰国し、日本語で執筆することを決意し、1980-1982年に代表作『意識と本質』を著す。1982年日本学士院会員。同年、毎日出版文化賞、朝日賞受賞。1993年鎌倉の自宅にて逝去(78歳)。鎌倉市円覚寺に眠る。

「井筒俊彦全集」全12巻・別巻が2013年から順次刊行されている。「30を超える言語を自在に逍遥した井筒俊彦は、その天才的な言語能力を縦横無尽に駆使して、ギリシア哲学、イスラーム哲学、中世ユダヤ哲学、インド哲学、老荘思想、仏教、禅までをも含めた人類の叡知を時空を超えた有機的統一体として読み解き、東洋哲学と西洋哲学の「対話」を目指しました」。

井筒俊彦との対談で、司馬遼太郎が「二十人ぐらいの天才が一人になっている」と評した。その井筒が書いた『意識と本質』(岩波文庫)を読んでみたが、とても手に負える代物ではなかった。

井筒は西と東の間を行きつ戻りつしつつ揺れ動きながら、70歳近くになって自分の実存の「根」は東洋にあったとしみじみと感じる。自分の内面に「私の東洋」を発見したのだ。西洋哲学はヘレニズムとヘブライズムの二本柱で全体を見とおすことができる。東洋哲学は錯綜しつつ並存する複数の哲学的伝統がある。それを理解する方法として井筒は「共時的構造化」を考える。時間軸をはずし空間的に配置し一つの思想関連的空間を創りだそうとした。そして、第二段として己自身の身にそっくり引き受けて、自分の東洋哲学的視座を打ち立てようとした。新しい東洋哲学を世界的コンテクストにおいて生み出す努力を始めるという宣言であった。

この本の扱う時間と空間は宇宙そのもののようであり、読み解くこと自体も尋常なことではない。ここでは、ほんの数ページの「マンダラ」に関する記述のみを取り上げる。

マンダラは、無時間的な動きを持つ全体共時的な動きである。胎蔵界マンダラは中心点から創造的エネルギーが周辺部に達し、ひるがえって中心部に戻る。一切が全部同時に現態勢にある。金剛界マンダラは下降、上昇していく意識の変化をあらわしている。時間的にみえるが、無時間的空間となっている。マンダラとは「正覚」を得た人の深層意識に現れた一切存在者の真の形姿の図示だ。全体的、総合的「本質」の構造だ。相互関連システムであり、全体構造性をもっている。すべてものの一つ一つが輻輳する存在連関の糸の集中点としてのみ存在する。

図解コミュニケーションを研究する過程で、私は「人間は関係の糸の中に浮かんでいる」と考えるようになっている。すべてのものは関係の海の中の一点として存在しているのだ。「全体、構造、関係」などを常に考えている私は、井筒の以上の論考は理解できる感じがする。井筒が書いた『意識と本質』は、手元に置いておくべき書物だ。

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