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「名言との対話」3月5日。ヨシフ・スターリン「私はもうおしまいだ。誰も信用できない。自分さえも」

ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン(ロシア語: Ио́сиф Виссарио́нович Ста́лин, 1878年12月18日(ユリウス暦 12月6日) – 1953年3月5日)は、ソビエト連邦の政治家。

1917年のロシア革命を成し遂げたレーニンの後を受けて1922年から1953年に死去するまで30年間、ソ連の最高指導者(人民委員会議議長、共産党書記長)をつとめた。1922年にソビエト社会主義共和国連邦が誕生し1991年まで続いた。現在はロシア連邦共和国となっている。ソ連70年のうち30年はスターリンの時代だった。

「スターリン」という姓は、ロシア語で「鋼鉄の人」という意味の言葉であり、自分で付けたペンネームである。

第一次五カ年計画、集団農場(コルホーズ)、スターリン憲法、第二次世界大戦、独ソ戦、対日参戦、東西冷戦と、ソ連を主導し、その結果、ソ連は工業国に脱皮し社会主義陣営の雄となり世界第二の経済大国となった。

一方で反対する人物はどんどん粛清していった。政治家、党員、軍人、民衆など有罪は100万人以上に及び、そのうち半数は銃殺された。 軍関係者だけでも、ソ連邦元帥5人中3人、国防人民委員代理11人全員、最高軍事会議のメンバー80人中75人、軍政治委員16人全員、軍団政治委員28人中25人、軍管区司令官13人全員、陸軍司令官15人中13人、海軍提督9人中8人、軍団司令官85人中62人、師団司令官186人中154人、旅団司令官406人中220人、大佐クラスの将校3/4、全将校の1/4ないし1/2(高級将校に限ると7割弱)というから、まさに大粛清の時代だ。死後フルシチョフによるスターリン批判で英雄から暴君へと評価が変わる。

以下、スターリンの言葉を挙げてみる。このような思想を持った人物が主導した国家は息苦しかっただろう。「一人の人間の死は悲劇だが、数百万の人間の死は統計上の数字でしかない」「もし我々の敵が我々をとがめるなら、我々のやることはすべて正しいのだ」「投票する者は何も決定できない。 投票を集計する者が全てを決定する」「愛とか友情などというものはすぐに壊れるが恐怖は長続きする」「死が全てを解決する。人間が存在しなければ問題は起こらない」「人は自分で神を作り出し、それに隷属する」「現実と理論が一致しなければ現実を変えよ」。

小学校6年生のとき、「二つの世界」というレポートを書いたことを思い出した。図書館に通ってソ連を盟主とする社社会主義陣営とアメリカが主導する自由主義陣営の対立を研究したのだ。今思えば、その頃のソ連はスターリンがつくった作品だったのだ。そのスターリンは日本については、第二次世界大戦終結直後に、「日本は最後にはまた這い上がってくる」と戦後日本の勃興を予測している。

ロシア共和国連邦は、成立後30年近くのうち、2000年から現在までの20年間、プーチンが大統領、首相、大統領と最高権力者として長期政権を継続している。その時代が終了した時、どのような動きがでてくるのだろうか。

鋼鉄の人・スターリンは、権力を縦横に駆使し、反対者を次々に粛清しながらソ連をつくりあげたのだが、猜疑心が強く、裏切りにおびえた。この権力者は晩年には「私はもうおしまいだ。誰も信用できない。自分さえも」と、語っている。人間不信の究極は、自分への不信であったというパラドックスである。

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