「名言との対話」12月4日。中村哲「我々の歩みが人々と共にある「氷河の流れ」であることを、あえて願うものである」

中村 哲(なかむら てつ、1946年9月15日 - 2019年12月4日)は、日本の医師。PMS(平和医療団・日本)総院長。

1968年年九州大学医学部入学後、佐世保への米原子力空母「エンタープライズ」の寄港、九大構内に墜落した米軍ジェット機「ファントム」の墜落などに遭遇。卒業後、国内の診療所を経て、1984年パキスタンのペシャワールに赴任。以来、ハンセン病を中心とした貧困層の診療に携わる。1986年よりアフガニスタン難民のための医療チームを結成し山岳無医地区で診療を開始。1991年より3つの診療所を開設し、1998年基地病院PMSを設立。2000年から水源確保のための井戸掘削と地下水路の復旧を行う。2003年から2009年にかけて全長25キロに及ぶ灌漑用水路を建設。2019年、武装勢力に銃撃され死去。葬儀ではガニ大統領が棺を担いだ。

現地三十年の軌跡を振り返った『天、共にあり』(NHK出版。2013年刊行)を読んだ。火野葦平を叔父に持つ昆虫少年という幼少時からの生い立ちと、数々の出会いと出来事の連続が自身をつくったことが述べられている。そして無意味な生命や人生はないとの確信を述べている。この本の中では、「出会い」という言葉が頻繁にでてくる。そして民族の十字路・アフガニスタンでの中村の活動は「天命」であったとの考えである。

白水隆という九大教授の名前が出てくる。私が所属した九大探検部の昆虫博士の部長先生だ。中村は内村鑑三の『後世への最大遺物』と『論語』に影響を受けている。それにクリスチャンであり「天、共にあり」を神髄とするキリスト教と、アフガニスタンで知るイスラム教が加わる。そして中村は全ての人を貫く「人の道」の存在を確信するようになる。

餓死とは栄養失調で抵抗力が落ちて落命することだ。もう病気治療どこりではない。病気のほとんどは食料と水があれば防げる。そして井戸を掘り、2006年までに1600カ所の井戸を確保、20万人以上の難民化を防ぐ。しかし、温暖化による干ばつによって地下水も枯渇し始める。用水路建設に取り掛かる。2010年に25キロが完成する。日本の山田堰を参考にし、「いかに強く作るかよりも、いかに自然と折り合うか」という考えに達してつくった洪水にも渇水にも強い堰である。寄付で集めた14億円の総工費と摂氏50度を超える炎天下の砂漠で働く現地人400名の労働により穀倉地帯が復活した。

終章は「日本の人々へ」だ。

日本の国土は夢のように美しい。平和だが何だかものたりない。フィクションの上に成り立っている世界観と常識。宮沢賢治『注文の多い料理店』は現在の日本を風刺しつくしている。「カネさえあれば何でもできて幸せになる」という迷信、「武力さえあれば身が守られる」という妄信からの自由が大事だ。PMSの安全保障は地域住民との信頼関係だ。剣で立つ者は剣で殺される。武力によって身が守られたことはなかった。発砲しない方が勇気がいる。そして「憲法9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ」とも他のところで語っている。

ぺシャワール会のホームページをみると、「中村医師からのメール報告」欄が目についた。現地から日々送信されてくる写真付きメールである。最後のメールは2019年10月4日受信の「天敵、アシナガバチの怪」だ。昆虫少年であった中村の観察である。「次回、ビエラの花と実にたかるミツバチの姿をお届けします」と書いてあるが、それは届かなかったのだろう。そして現地代表 中村哲のメッセージ載っている。「我々の歩みが人々と共にある「氷河の流れ」であることを、あえて願うものである。その歩みは静止しているかの如くのろいが、満身に氷雪を蓄え固めて、巨大な 山々を確実に削り降ろしてゆく膨大なエネルギーの塊である。我々はあらゆる立場を超えて存在する人間の良心を集めて氷河となし、騒々しく現れては地表に消える小川を尻目に、確実に困難を打ち砕き、かつ何かを築いてゆく者でありたいと、心底願っている。」

中村哲の志は、アフガニスタン人はもとより、日本の後輩たちにも大きく深い影響を与えている。こういう人を本当に「偉い人」というのだろう。

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