「名言との対話」2月17日。浅賀ふさ「個を対象とするケースワーカーが出会う問題の中には、多くの社会的レベルにおいて解決しなければならない問題がある。対象者の問題を顕微鏡を通して見るごとく身近に知ることができる立場にある」
浅賀 ふさ(あさが ふさ、1894年2月17日 - 1986年3月3日)は、の医療社会事業家。
愛知県半田市出身。日本女子大学英文科を卒業。1919年に渡米。ソーシャルワーク活動に眼を開かれる。シモンズ大学社会事業大学院、ハーバード大学大学院で幼児教育を学ぶ。1929年に帰国。聖ルカ病院(のち聖路加国際病院)でメディカル・ソーシャルワークを始め、社会事業部や作業治療部を創設する。
1938年、衆議院議員の浅賀五兵衛と結婚。1945年、夫が死去。戦後、厚生省児童局の渉外専門家など社会事業教育に携わり、医療福祉確立に努力した。1953年より中部社会事業短期大学(日本福祉大学)教授として80歳まで教壇に立った。日本医療社会協会の初代会長。(出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典についてなど)
浅賀ふさが日本最初になったというメディカル・ソー シャルワ ーカ ー(MSW)とは何だろうか。第二次世界大戦後、結核への対応のために病院や国立療養所などにMSW が配置された。その後、入院援助、医療費問題の解決などの相談支援業務が必要かつ求められ、社会福祉の観点から患者と家族のために活動するMSWが必要になっていく。 具体的には、以下の業務を担当する。1.療養中の心理的・社会的問題の解決、調整援助。2.退院援助。3.社会復帰援助。4.受診・受療援助。5.経済的問題の解決、調整援助。6.地域活動。(厚労省 『医療ソーシャルワーカー業務指針』より)
『人物でよむ近代日本社会福祉のあゆみ』にある浅賀ふさの発言を抜き出してみよう。
「ケースワークは社会改善の水先案内人であり、また社会改善実施の後も、その適切なる施行の推進役をする。」
「個を対象とするケースワーカーが出会う問題の中には、多くの社会的レベルにおいて解決しなければならない問題がある。対象者の問題を顕微鏡を通して見るごとく身近に知ることができる立場にある」
「ケースワーカーこそ、社会政策への強力な発信者でなければならない」
蔵書を日本福祉大学に寄付し、「浅賀文庫」となっている。ソーシャルワーカーは生活相談を行う仕事だ。その分野は広く、医療、教育、福祉、介護、行政、産業などの分野がある。浅賀ふさは、日本における医療ソーシャルワーカーの先駆者として名を残している。
個を対象とする現場を持つソーシャルワーカーは社会で生起する問題のに直面するから、社会政策への提言をすべきであるという浅賀ふさの主張には共感する。
2022年2月17日に訪問した滝乃川学園の石井筆子もそうだが、力のある女性が夫に先立たれた後、社会的に目覚ましい活動をすることが多々ある。そういう力を家庭に閉じ込めておくのは人的資源の無駄遣いの面がありいかにももったいない。女性が活躍する場がもっと整備すれば、日本の未来は明るいと思う。
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