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「名言との対話」9月28日。アベリー・ブランデージ「アマチュアリズム」

アベリー・ブランデージ: Avery Brundage, 1887年9月28日 - 1975年5月8日)は、アメリカ合衆国スポーツ選手で、国際オリンピック委員会IOC)の第5代会長などを務めたスポーツ界の重鎮。

アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト出身。イリノイ大学で土木工学を学ぶ。卒業後、建設業の会社を設立し1947年まで営んだ。

1912年、ストックホルムオリンピック近代五種競技。近代十種競技に出場。1914年以降、3回にわたり全米選手権で優勝している。

1928年、全米体育協会会長、1929年にアメリカオリンピック委員会会長、1930年に国際陸上競技連盟副会長。

1936年に国際オリンピック委員会理事、1945年からの副会長を経て、1952年には会長に就任した。1972年に引退するまで20年にわたって会長をつとめた。享年87。

ブエランデージは常にアマチュアリズムの遵守を説き、「ミスター・アマチュア」と呼ばれた。

「アマチュア」という言葉は、オリンピックでは長い間、論争の種になってきた。スポーツは貴族のものであり、金のためにスポーツをする労働者を排除するという思想であった。第5代会長のブランデージは極め付きのアマチュア論者であったが、20年の在任中には、実際にはそうもいかなくなった。例えば、アルペンスキーの用具メーカーが協賛する冬季大会などを批判している。ブランデージのアマチュア精神には、差別的な思想が残っており、時代遅れの恐竜という批判もあった。

ブランデージは、1940年の幻の東京オリンピックと1964年の東京大会実現にも功績があった。1972年の冬季札幌オリンピック開催と成功の恩人として、藻岩山で祭神として祀られている。神様になったのである。

ブランデージは日本文化の愛好家としても有名な美術コレクターだった。日本の着物姿の男性が使う小物入れである根付から始まり、日本の絵画、陶器、彫刻、そして青銅器、象牙彫りなどのアジアの美術品を収集し膨大な7700点の個人コレクションをつくった。それをサンフランシスコ市に寄贈した。日本絵画も優れたものが多い。市はサンフランシスコ。アジアン・アート・ミュージアムを設立している。

「アマチュアリズム」という言葉はきれいな言葉ではなかった。労働者差別、人種差別などの歴史が入っていたのだ。オリンピックはショー的な要素も加わり、クーベルタン男爵がつくった時代とは姿をすっかり変えている。最近、2020年東京オリンピックの金にまつわる汚職が取りざたされている。オリンピックの歴史に少し触れただけでも、暗い歴史もあり、複雑な様相が浮かび上がってくる。札幌冬季オリンピック招致運動の行方も含めて、どうやらオリンピックは曲がり角を迎えたようである。




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