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「名言との対話」11月26日。三宅雪嶺「例えれば、鍛冶屋が腕を振って腕が太くなるように、元気を出し続けると、元気は増してくるものである」

三宅 雪嶺(みやけ せつれい、1860年7月7日万延元年5月19日〉 - 1945年昭和20年〉11月26日)は、日本哲学者国粋主義者評論家

金沢市出身。開成学校を経て、東大文学部哲学科を卒業。東大の同期には医学部の北里柴三郎、文学部の坪内逍遥がいる。自由民権運動に参加。1888年志賀重昴らと国粋主義の「政教社」を設立し、機関誌「日本人」を創刊する。主流の欧化主義を批判し「日本主義」を提唱し薩長藩閥政府批判の論陣をはった。1923年には個人雑誌「我観」を創刊し発行し続けた。文部大臣としての入閣要請もあったが辞退している。1943年に文化勲章を受章。主著は『真善美日本人』『偽悪醜日本人』『宇宙』など。

日本のフランス文学研究を主導した辰野隆は、帝大の名総長浜尾新と三宅雪嶺の人格に傾倒している。三宅雪嶺については、次のように語る。高潔にして温雅な顔。仙味に充ちた先生。達人とは斯くの如き仁。綽綽として天命を楽しむ温容と、天下一品の吃吃たる日本語。、、、。

人物論で定評のあった谷沢永一は、三宅雪嶺を人間通で人物評論の嚆矢としてあげ「人間観察の透徹において、まさに古今独歩、まったく無類の存在であった」としている。

死後には『三宅雪嶺人生訓』(衛藤利夫編)、『三宅雪嶺修養語録』(生田春月編)、『三宅雪嶺美辞名句集』(山川均編)、『三宅雪嶺格言全集』(藤田信亮編)などが多く出版されている。

手に取った『三宅雪嶺修養語録』(生田春月編)は、「序」に「「一世の師表」、現代の論語である。当世のバイブルである」と述べている。「人生観」の章では、人生、人間、人格、性格、実力、幸福、善悪、気力、才能、名声、愉快、飲酒、、。「処世観」では処世、努力、成功、独立、言行、、。以下、「社会観」、「人物観」、「政治観」、「教育観」、「文藝観」、「宗教観」、「死生観」、「雑感」と続く。

また『三大家の新修養』という本では、大隈重信渋沢栄一とともに、取り上げられていた。「はしがき」では、「新時代の人々の修養に資せんかために」編んだと書かれている。

以下、私が感銘を受けた言葉を記す。

  • 出来ぬと思えば出来ず、出来ると思えば出来る事が随分ある。

  • 人は己の最善を尽くすがよい。狭いところに入れられなくても広いところに入れられる。実力のある者は決して世間で捨てて置かぬ。

妻は三宅花圃である。樋口一葉と洞門の小説家、歌人。一葉は萩の舎の姉弟子である三宅花圃の処女小説が原稿料33円20銭で売れたことを知り、小説執筆に興味を持った。一葉は家族のために小説を書くことを決心し、朝日新聞の小説および雑誌担当記者だった半井桃水に師事したのだ。その人が三宅雪嶺の妻であったことを初めて知った。

欧化主義の福沢諭吉に対しては「権力に対しては無理に我慢するが、金力に対しては我意をはって強情なのは、独立自尊も大阪流だ」と厳しい指摘をしている。

雪嶺は徳富蘇峰と並ぶ論壇の雄であり、内藤湖南、長谷川如是閑らを世に送った功績もある。

雪嶺は名言の宝庫であり、選ぶことも難しい。以前「人は善くも言われ、悪くも言われるのがよい」がいいと思っていたが、今は「例えれば、鍛冶屋が腕を振って腕が太くなるように、元気を出し続けると、元気は増してくるものである」を採りたい。

ピアノの名手の女性の腕が、いつの間にか、肉体労働者のように太く、たくましくなっている姿をみたことがある。頭は使えば使うほどよくなる、という人もいる。気力も同じなのだろう。三宅雪嶺先生の言にしたがって、元気を出し続けることにしよう。

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