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「名言との対話」3月16日。吉本隆明「ほんとうに教養のある人というのは、どういう人のことを言うか。それは要するに、日本の現在の社会状況、それに付随するあらゆる状況が、どうなっているかをできるだけよく考えて、できるだけほんとうに近いことが言えるということです」

吉本 隆明(よしもと たかあき、1924年大正13年〉11月25日 - 2012年平成24年〉3月16日)は、日本詩人評論家。享年87。

東京都出身。東京工大電気化学科卒。東洋インキ製造に勤務した後、詩人、評論家、思想家として、戦後の論壇を風靡した。戦後の主な論争のほとんどに関わってきた吉本の言葉は大きな影響力を持っていた。私の世代でも信奉者が多かった。また亡くなる直近まで、この人の言説は注目されていた。

全共闘運動のなかで教養エリートたる大学教授たちを糾弾した吉本隆明に対する共感が起こり、吉本はヒーローとなった。そして大学はレジャーランドになっていき、次の世代は大学卒の資格をとることを目的とするようになり、大学のキャンパスは静かになった。そしてレジャーランド化したのだ。

教育評論家の竹内洋は、全共闘運動の本質を言い当てている。大学進学率は15%未満がエリート段階と呼ばれる。団塊の世代の親の高等教育進学率(短大を含む)は6%、団塊世代は22%で、1970年には23.6%になり、高等教育のマス化が進んだ。そして大卒者のサラリーマン化が進行する。大学紛争の解釈として竹内は、学生たちが「学問とは何か」「学者や知識人の責任とは何か」と問うた原因は、大学生である自分たちが「ただの人やただのサラリーマン予備軍になってしまった憤怒である」としている。

高度成長を担うビジネスマンとなった私たち団塊の世代の大学卒業生は、経営学ブームの中で成長していく。専門知を身につけたテクノクラート型ビジネスマンの誕生だ。階級社会の消滅によって膨大な大衆が登場してくる。これが新中間大衆社会である。先日読んだオルテガの「大衆の反逆」にある凡俗に居直る大衆が支配する社会である。この大衆社会の進行が新中間大衆社会を生んだ。この新中間層は、定年退職後、人生100年時代が視野に入る令和に世になって行き場を失っている。

教養という言葉の解釈で明け暮れるべきではない。「教養のある人」とはどういう人を指すのかという問いを立てるのがいいように思う。吉本隆明の言う「現在の状況」とは歴史と地理の交点である現在の時代状況を認識し、それを語り、その状況の中でいかに生きるべきかを毎日問い続けながら、行動している人ではないか。現在を真摯に生きようとしている人である。

教養人とは常に自分の立ち位置を確認し、いかに生きるかを問い続けている人である。彼は人間としての生き方を磨くために修養していく人だ。とすれば、歴史や地理、そして科学や芸術など人類の英知に学ぶ必要があるということになる。教養を実世界の中で生きる術ととらえたい。


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