見出し画像

「名言との対話」4月6日。京唄子「おもろい夫婦」

京 唄子(きょう うたこ、1927年昭和2年〉7月12日- 2017年平成29年〉4月6日)は、女優漫才師である。享年89。

京都市西陣出身。本名は鵜島ウタ子。宮城千賀子劇団をへて瀬川伸子劇団にうつり、同劇団で鳳啓助と出会い、結婚。1956年にコンビをくんで漫才で人気が出た1965年の離婚後もコンビをつづけた。1969年から1985年まで16年間にわたり放送された人気番組だったフジテレビの「唄子・啓助のおもろい夫婦」の司会で高い人気をえる。毎回2組の年配の夫婦を招き、苦労話などを二人がインタビューする、泣き笑いのある番組だった。二人の結婚と離婚、そのネタでも笑いをとっていた。

エンディングにはテロップで「夫婦、不思議な縁で結ばれし男と女。もつれ合い、化かし合い、許し合う、狐と狸。夫婦、おもろきかな、おもろきかな。この長き旅の道連れに幸せあれ…。」が流れた。これは啓助の詩である。私もテレビでよく見かけている。

その他、女優の京唄子では、中学、高校時代の私の記憶にあるのは藤田まこと主演の人気コメディ「てなもんや三度笠」だ。唄子はスリの姉御お銀を演じていた。子分の千太は鳳啓助。旅して歩くスリのコンビ。お銀は口が大きいのをネタにされているが、大口開けて嵐を起こしたこともあり妖怪呼ばわりされてしまうという役柄だ。

大きな口と大きな帽子がトレードマークで、「私は仕事が好き 手を抜かず何事も一生懸命やる」ことを信条としていた唄子は日本テレビの芸人オーディション「お笑いスター誕生!!」では審査員としてのコメントは辛口だった。

NHK「あの人に会いたい」の映像では、「人と人との出会いの尊さ。皆さんとの出会いを大事にしたい」と語っている。

1994年鳳啓助が死去した際には「一緒にいたときは食べられないこともあったけど、思い出すのはいいことばかり。元気でいてくれたら良かったのに。やっぱり早かった」とコメントし「もう一切、漫才はやりません」と漫才の封印を誓っている。

2008年に「上方演芸の殿堂」入りをする。「表彰は身に余る光栄。亡くなった啓助さんも喜んではると思います」と語った。

京唄子は4度結婚しているから、ファンも含めて出会いは多かったが、やはり最高の出会いは、私生活もそうだが、仕事の相棒としての鳳啓助だったのだろう。二人は結婚し、離婚する。しかし、仕事のコンビは解消せずに、二人で大きく育っていく。まさに「おもろい夫婦」であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?