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「名言との対話」3月24日。林土太郎「遍路旅に終止符を打った。これにて映画裏方街道遍歴人生は満願成就となった」

林 土太郎(はやし つちたろう、1922年3月24日 - 2015年7月9日)は、日本の録音技師である。
京都生まれ。活動写真好きが高じて片岡千恵蔵プロダクションなどに出入りするようになる。1937年、日活京都撮影所録音部に入社し、録音助手としてマイク係、録音係など担当。1942年、大映設立にともない大映京都撮影所録音部に継続入社。応召復社後、1953年に『水戸黄門 地獄太鼓』で録音技師として一本立ちする。以後、大映京都撮影所録音技師として活躍した。1970年に独立し京都シネ・スタジオ設立。その後、勝プロ作品、映像京都、東映テレビ作品などを担当する。一貫して映画録音畑を歩んだ。
林 土太郎『映画録音技師ひとすじに生きて』(草思社)を読んだ。
日本映画の創成期、全盛期、衰退期などすべての時代を経験した者として「何かを書き残しておきたい」と思うようになって書いた本である。映画界で辛酸をなめ、喜怒哀楽を味わい、幾山河を越えてきたという15歳からの60年の活動屋人生の述懐がつづられている。「長井い道標を脇目もふらず、ただ一筋に歩みたどりし映画街道」など文体が活弁口調で、歯切れがよく、また監督、俳優、スタッフなどと織りなす映画製作の現場が見えるようだ。
録音を一生の仕事とするのは入社時のちょっとした偶然だが、その道をただひたすら前向きに進んでく姿には感心する。下記にピックアップしたように、仕事に関する自己啓発に余念のない真面目で素直なこの人は、何をやっても成功するだろうと思わせる。
ーーーー天運を授かった。叱られることは自分を培う肥になる。日就月将。若いうちに基本を身につける。なにはともあれ勉強。同志を裏切れず助監督への誘いには乗らない。映画街道の遍路旅。巡礼。お礼奉公。業をともにする人に不信を抱かせない言動。毎日の蓄積が心の糧となり己を伸ばす。信頼されて仕事を成し遂げる。狭い崖っぷちの細道を一本の杖で修行へ挑戦。巡礼歌を唄う気持ちで前進。裏方は表方に磨きをかけて光り輝かすのが本分。脚本訂正から作詞まで何でもこなす録音技師。、、、、、
黒澤明が監督『羅生門』、荒井良平監督『水戸黄門地獄太鼓』、岡本喜八監督の勝プロダクション作品『座頭市と用心棒』、黛りんたろう監督『RAMPO』、監督三隅研次監督の『子連れ狼』シリーズ、、、などの多くの作品で腕を振るった。
マキノ正博、伊丹万作、川口松太郎。市川雷蔵。勝新太郎、長谷川一夫、北大路欣也、、、、など映画界のスターたちとの交流の様子も詳しく書かれており、それぞれの人柄もよくわかる。長男の林基継は同じく録音技師の道を歩み立命館大学映像学部映像学科教授になっている。録音という世界に打ち込む父の姿に影響を受けたのだろう。
偶然に触れた分野でひたすら精進し、それがいつか天命となっていく。日本映画界の歩みと自身のキャリアを重ねて80代半ばで一冊の本を遺すことで満願が成就する。この終始一貫したすがすがしい物語に感銘をうけた。人はどの分野でも、一能一芸に秀でていればそれでいい。そう思わせる爽やかな読後感だった。


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