「名言との対話」11月14日。ジャン・パウル「人生は一冊の書物に似ている。ばか者たちはそれをいそいでぺらぺらとめくっていくが、かしこい人間は、念入りにそれをよむ。なぜならば、彼らはただ一度しかそれをよむことができないことを知っているから」
ジャン・パウル(Jean Paul, 1763年3月21日 - 1825年11月14日)はドイツの小説家。該博な知識に基づく機知とユーモアに富んだ中長編を発表。主要作品に『ヘスペルス』『陽気なヴッツ先生』『ジーベンケース』『巨人』『生意気ざかり』『彗星』など。享年62。バイライトに銅像が建っている。
ドイツのバイロイト出身。30歳で自分の文体を確立し、32歳の『宵の明星』『フィクスライン』で成功をおさめる。その後、ワイマールに移住しゲーテらと交流。1802年、『巨人』を完成。41歳以降は故郷のバイロイトで過ごした。1817年、ハイデルベルク大学でヘーゲルから名誉哲学博士号を授与される。
『巨人』という代表作は、フランス革命の時代のドイツの小国の命運を握る侯爵の子息、自らの出自を知らない主人公の教養小説である。芸術至上主義の友に恋人を奪われ、諧謔家の師友に先立たれながら、君主として小国を統治する決意を固め、魂の巨人を志していく物語。
作曲家のマーラーはジョン・パウルの愛読者で、交響曲第1番に「巨人」。の標題をつけている。
以下、パウルの言葉から。
富、眠り、健康はそれを取り戻した時になって、はじめてその味わいを満喫できる。
つねに謙虚であるならば、ほめられたときも、けなされたときも、間違いをしない。
友人を信用しないのは、友人に欺かれるよりもはるかに恥ずべきことである。
人は子供をおとなしくなるようにと、小学校にやる。そして、うるさくなるようにと、大学へやる。
賞賛された時ではなく、叱責された時に謙虚さを失わない者こそ真に謙虚な人間である。
人生は旅である、これが大方の人の理解だろう。このアナロジーで、人生行路で出会う人々との邂逅や別離、自分を巡る数々の事件、そして現在の自分の立ち位置をつかむことができる。
しかし、旺盛な読書に支えられた知識と機知豊かな、このジョン・パウルという小説家は、人生は一冊の書物であると喝破する。旅という比喩が価値的には中立であるのに対して、この考え方は読み方、つまり我々の生き方への自覚を要求する。
ぺらぺらとめくっていくとは、うすっぺらに軽く「経験」していくというほどの意味だろう。念入りに読むとは、できごとを深く「体験」していくということである。一度の体験を深く味わい、そこから教訓を汲み出し、次のステージに備えていく。そういえば、学生時代に台湾を旅行したとき、ある経営者と知り合った。その台湾人は、日本の若者が海外へ旅していることを「考験」と言っていた。体験し、考えるという意味だろう。経験し、体験し、考験していくのが人生だともいえるかもしれない。
書物を見た、読んだ、とい「通読」という段階ではなく、自分でその書物が述べている内容を「精読」し、深く考えた人が、本当に人生を生きた人なのだというメッセージだろう。同じ経験をしたからといって、同じ教訓をくみ取るとは限らない。切実さの深い方が、高いレベルの知恵を獲得していくのは自明である。ジョン・パウルのいう賢人として人生を歩みたいものだ。
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