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「名言との対話」5月1日。宗左近「何かに縋らなければ、人は自分を救えません。わたしを助けてくれたのは、詩でした」

宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6月20日)は、詩人・評論家・仏文学者であり翻訳家。

2019年に「名言との対話」6月20日。宗左近「山がはじけた 海がさかまいた 吊り橋はねた 青空さけた きみたち死んだ おれたち生きた 」という以下の文章を書いた。

宗左近が選んだ詩とその解説書『あなたにあいたくて生まれてきた詩』(新潮文庫)を読んだ。以下、印象に残った詩をあげてみる。

「ルームライトを消す スタンドランプを 消す そうして 悲しみに灯を入れる」「おばあちゃん おはなみにいって さくらのはなが ごはんのうえに おちてきたら どうしたら いいの」「ふるさとには なんにも ない 山と 川と 空のほかには だけど 母さんがいる ふるさとには なんでも ある 夢と 友と 思い出がある だけど 母さんが いない」

2014年、生まれ故郷である北九州市戸畑図書館内に「宗左近記念室」がオープンした。2016年、市川市に詩碑が建立された。2017年、「宗左近・蕊の会」が設立され活動を続けている。市川市の名誉市民でもあることからわかるように、深く地元に影響を与えた人だった。

宗左近は岡本太郎『縄文土器論』に衝撃を受け、縄文土器に強く惹かれていた。宗左近が作詞した縄文ラプソディの「滝壺舞踏」の映像をみた。ピアノの伴奏にのった力強い男性合唱と、エネルギーに満ちた詩に感銘を受けた。「山がはじけた 海がさかまいた 吊り橋はねた 青空さけた きみたち死んだ おれたち生きた   石が泳いでくる 雲が喘いでくる 星が溺れてくる 月が割れてくる、、、」。鎮魂の「祈り」である。

今回は違った角度からさらに深掘りしてみたい。

あらためて調べてみると、詩集は46冊にのぼる(詩選集を除く)。1987年から亡くなる2006年までの間は、年に1冊以上のペースで出版していた(1994年は3冊)。処女詩集の『黒眼鏡』が出版されたのが1959年で、この後1985年までに出された詩集が16冊であることから、晩年の創作の旺盛さがうかがえる。

『私の死生観』(新潮新書)を読んだ。正統的な人生ではなく、縄文人と大東亜戦争末期の親しい死者に取り憑かれている列外的人生を送る人の「列外人生死生観」だ。

「 何かに縋らなければ、人は自分を救えません。わたしを助けてくれたのは、詩でした」。「自由、平等、博愛」の理念が失われたのが「地獄」であり、戦争時代だった。宗左近にとって、その地獄での光明が「詩」であったのだ。

「地獄」について源信『往生要集』の要点を詳細を記している。この機会に源信から地獄について学んでみよう。源信は942年に生まれ75歳で1017年に死去した学問僧で、74部150巻の著作を書いた。その主著が『往生要集』で、内容は経典、先人の著作など160数部の文献の952の文章の引用、孫引きである。浄土思想のエッセンスが集められた名著で、日本人の死生観を養ってきた重要な作品である。

三界(精神の「無色界」、清らかな「色界」、性欲と食欲の「欲界」)は安きことはない。人間が住む「欲界」には、六道(迷い)と呼ばれる「地獄」「餓鬼」「畜生」「阿修羅」「人」「天」、そしてそのまとめがある。地下の牢獄である地獄は8つあり、「等活」「黒縄」「衆合」「叫喚」「大叫喚」「焦熱」「大焦熱」「無間」の順序がある。ここは人間の処刑場だ。

源信は浄土教の教義の体系化を成し遂げた人だ。世界観、哲学の宗教から、「極楽か、地獄化」という選択を迫る実践倫理を提出した。それでは「極楽」とは何か。五感ですべてを感じる世界だ。西欧の天国には階級があるが極楽院にはない。天国は遠近法絵画で、極楽は細密描写だ。天国は精神の歓喜、極楽には感覚の楽しみがあるなど現実感がある。源信の思想は仏教の日本化す勧めた革命だった。

以上を勉強したのだが、「死生観」を持つためには、日本探検として『往生要集』を読まねばならないようである。

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