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「名言との対話」 2月9日。貝塚茂樹「あなたは、論語ときいただけで、とてもちかよりにくく、むずかしい本だというふうに、頭からきめてはいませんか」

貝塚 茂樹(かいづか しげき、1904年(明治37年)5月1日 - 1987年(昭和62年)2月9日)は、日本の東洋学者、中国史学者。

実父は、地質学者・地理学者で京都大学教授の小川琢治。兄に冶金学者で九大教授、東大教授の小川芳樹。弟に物理学者で京大教授の湯川秀樹、中国文学者で東北大教授、京大教授の小川環樹。華麗な学者一家の出である。日本人初のノーベル賞受賞者の湯川が自らを語るインタビューを聴いたことがあるが、やはり学問を第一とする家風であった。地頭も大事だが、育った家の雰囲気も重要だということがわかる。小川姓であった貝塚は入り婿になり、貝塚を名乗った。弟の秀樹も湯川家の養子である。

貝塚以前は東洋学、中国学の分野では、文献研究が主体であった。貝塚は甲骨文字などの出土資料を用いた新しい研究方法の創始者となった。湯川秀樹と同じく貝塚も独創の人だった。また古代から近代、現代にいたるまでの幅広い実証的な研究を行い、東方学会会長をつとめるなど歴史学に大きな貢献をしている。戦後は米中との文化交流にも尽力した。文化功労者、文化勲章。膨大な蔵書のうち約3万冊は、和泉市の久保惣之助美術館が所蔵している。

聖書と並ぶ人類の古典ともいうべき『論語』は孔子という大聖人の言葉が掲載されている聖典という扱いだったが、貝塚は『孔子』という書物で七十余年を生きた生身の孔子という大人物の経験と洞察がにじみ出ている人生の書であるという観点からやさしくひも解いている。書物も読む人のレベルによって理解度が違うのである。そして中国文学の碩学である貝塚の理解力の上にたった優れた筆力の賜物を私たちは読むことができる幸運を持っている。

「あなたは、論語ときいただけで、とてもちかよりにくく、むずかしい本だというふうに、頭からきめてはいませんか」という『孔子』の前書きの後には、 「ところが、じっさいはそうではないのです」という言葉が続く。平仮名のおおい、やさしく、かんでふくめるよう文章は、梅棹忠夫の文章とよく似ている。私が書くなら「あなたは、論語と聞いただけで、とても近寄りにくく、難しい本だというふうに、頭から決めてはいませんか」となるのだが、この碩学の文章は「論語」という書名以外には、「本と頭」だけが漢字で、他はすべてひらがなである。小学生を対象として書いているような感じがある。それが永遠の名著といわれるようになった。こういった文章の書き方も学んでみたいものだ。

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