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「名言との対話」10月19日。童門冬二「起承転転。最期まで緊張して生き抜く。終活はない、転活があるだけだ」

童門 冬二(どうもん ふゆじ、1927年10月19日 - )は、日本の小説家。本名は太田 久行。

東京下町生まれ。海軍少年飛行兵(予科練)の特攻隊に入隊するが、出撃しないまま終戦を迎える。東京都に入庁し、目黒区役所係員から、東京都立大学理学部事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長を歴任した後、美濃部都知事の辞任に附き合って、1979年に51歳で退職し、作家活動に専念する。広報室長時代に美濃部知事から、やさしい文章を書くことを教えられ、知事に惚れこんで仕事をしていたという。

「ボクの鉱脈は30年あまり勤めた都庁時代にあった。たとえば「組織と人間」の問題。こうしたテーマを歴史小説の形を借りて現代に生かすことを考えたのです。上杉鷹山だって美濃部さんに、ちょっと似ているでしょ(笑い)」。上司に惚れこんで仕事をしていたというから、美濃部は相当に優れた人物であったのだろう。

都知事選で「東京で自慢できるものを3つ挙げてほしい」とのの質問に自民推薦の警視総監経験者の秦野候補は「皇居、地下鉄、高速道路」と答えた。美濃部は「そばとウナギ、きれいな若い女性、そして半蔵門付近のお堀端」と回答して都民の共感を得たというエピソードを思い出した。

童門冬二は17歳で終戦を迎え、特攻隊から戻った少年に対し世間の目は罪人を迎えるようで、童門は傷つきグレた。その傷を癒したのが太宰治の著書であり、その純粋さ優しさに童門は取り憑かれた。童門冬二にとって太宰治はデーモンであり、ペンネームの童門はデーモンから来ている。デ-モンとは、悪魔、悪霊、半神、魑魅魍魎などを意味する。デーモンという言葉はよく聞くが、魑魅魍魎と理解しておこう。その童門の師は山本周五郎と太宰治である。

今までこの人の本はよく読んできた。

「自分の中にある鉱脈を掘ればいい」「人物の探求に終わりなし」「起承転転」「少しはまともに働きながら、こつこつ自分の文学を育てていこう」「現地を訪ね、さらには郷土史家の書いたものをどっさり買い込んでネタとして活用」「汗とか油を流して努力を続ける人間、つまりプロセスに生きている人間が僕は好きなんです」 「日々ニュースになる事件や出来事の中には必ず小説のヒントがある」「地方の振興のために命を注ぎながらも、歴史の表舞台に出ることのなかった人たちを掘り起こす」「歴史という無限の鉱脈を掘ることに一生懸命になっている自分がいた」「地方に眠る武将や儒学者などを発掘するようになった」「起承転転」「どこまで経ってもいまの自分に満足せず人生を完結していない」「風度(態度・容姿、人品。風采。風格)」

2011年に訪問した細井平洲記念館の名誉館長は作家の童門冬二だったので驚いた。ビデオで童門は「平洲は鷹山にあなたは山の上の一本松だ。風当たりが強い。しかしあなたは幹である。幹がひっくり返ると枝もだめになると「勇」を説いた」と語っていた。改革にあたるリーダーに必要なのは風を受けて一人で立つ勇気である。

童門冬二「なぜ一流ほど歴史を学ぶのか」(青春新書)を読了。軽い新書なので気安く拾い読みした。「飛耳長目」。「自分の歴史観。歴史の氷を溶かして、自分の生き方に役立たせる。自分が生きる道しるべ。同時代を生きるという実感」「山川出版社「県の歴史」シリーズと「県の歴史散歩」シリーズ。イモヅル式歴史探究」。「自分の生き方を後押ししてくれるような知識を得て、パワーを得る」。「現役時代にやりたくてもやれなかったことに専念」。「新井白石は、歴史と経済。自伝「折たく柴の記」」「海の果ては空と海がくっついている。天孫降臨は海の彼方からどこかの民族が船に乗ってやってきたのだ。それが空から下ったように見えた」。「起承転転」。「恕。相手の立場に立ってものを考えるやさしさと思いやり」。

この人の著作を何冊も読んでいるし、勤め人を終えたのちに、「組織と人間」というテーマで歴史小説に挑みベストセラーを書くという姿勢に共感を覚えている。童門はどういう人生観と工夫を行っていたのだろうか。

在職中から歴史雑誌(同人誌)を舞台に休日を使って習作活動。
楕円思考、理論と実践、知識と行動、不易と流行、ゼネラリストとスペシャリスト、、。どちらかに偏らずに、どちらの視点や思考法も併せもつ。二者択二。
同時進行。
人生で大切なことはすべて映画から学んだ。小説を書く際の肥沃な肥料。
「なら人間」を目指せ
「自分を高く評価して、謙虚に生きたまえ」。主体性と協調性。
仕事場は自分を磨く神聖な場所だ。
平凡を重ねてついに非凡にいたる。
歴史とは人間の生き方、死に方の集積。50代からは歴史を学ぶのに向いている。
山本周五郎の作品を読んで人間研鑽や人格修行に励む。情を学ぶ心の師匠。
太宰治。人の喜びや感動に奉仕する精神。文学の師匠。
一文のセンテンスは最長でも40字までを限度とせよ。(丹羽文雄)
自分の手足を使って得た「なま情報」に勝るものはない。活字情報は「干物」。
話法は落語から学んだ。6代目三遊亭円生。3分に一回は笑いをとる。
「お前の敵はお前だ」(石川淳)
「人の多くは死ぬべきときに死んでいく」
「たとえ世界の終末が明日であろうとも、私は今日、リンゴの木を植える」(コンスタンチン・ゲオルギュ)

童門冬二は「高齢者になったら、そばにいてくれるだけでいい人になりましょう。聖路加病院の日野原先生のように、という、私なりの生涯学習の目標がある」 。現代では90歳を超えてベストセラーを連発し、105歳で先日亡くなった日野原重明先生を励みにしながら小説の執筆を続けている。

「起承転転。最期まで緊張して生き抜く。終活はない、転活があるだけだ」。「起・承・転・転。終身現役、命の最後の一滴まで燃焼させたい」。

高見順の『起承転々』という作品のタイトルを人生の指針としている。そしてその「起承転々」という考えに感心し、使っている私がいる。人は一つ前の世代の先人から学びながら生きていくのだと改めて思った。

本日95歳となった童門冬二は、自衛隊の幹部学校で「徳育」という講義科目を持っている。歴史上の人物で当てはまる人を探して紹介している。道徳は、人物論で教えるしかないという考えだ。私の「名言との対話」への援軍を得た思いがする。童門先生は95歳からの「大人期」をどう過ごすだろうか。

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