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「名言との対話」9月29日。井出孫六「有名無名さまざまな事件をつないでいって、ひとつの時代を浮き上がらせる」

井出 孫六(いで まごろく、1931年9月29日- 2020年10月8日)は、日本の小説家、ルポライター。

長野県佐久市生まれ。東大仏文卒。中・高校教師を経て中央公論社に入社し、「中央公論」などの編集に当たる。1970年に退職。1968年に発生した永山則夫連続射殺事件に関心を抱き、1970年末に犯人である被告人・永山則夫に面会する。弁護士から永山が獄中で綴ったノートを見せられて内容に驚き、その出版を企画する。永山の獄中手記は1971年3月に『無知の涙』として刊行され、永山の作家としてのデビュー作となった。

『秩父困民党群像』で文壇に登場。1975年、川上冬崖の謎の最期を描いた『アトラス伝説』で第72回直木賞。1986年、『終わりなき旅 「中国残留孤児」の歴史と現在 』で第13回大佛次郎賞。『抵抗の新聞人桐生悠々』『秩父困民党群像』『峠の廃道』は秩父事件を扱っている。『抵抗の新聞人桐生悠々』など人物評伝にも定評がある。他に『ルポルタージュ戦後史』など。また、日本文芸家協会理事、日本ペンクラブ会員、「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人をつとめている。

井出孫六の企画した死刑囚・永山則夫『無知の涙』は、私も読んでいる。永山は私と同学年であり、興味深く読んだ。連続射殺魔・永山則夫は哲学・精神分析学・心理学・小説などあらゆる名著を紐解いている。この独学で自己自身を考える実存主義思想思想で両足で立つことを教えられ、貧困を扱った師マルクスとエンゲルスから決定的に覚すいさせられる。そして、マルクスを信奉する左翼という立ち位置を獲得する。その過程が克明にわかる。「頭の中で逃走する」という存在理由を見つけたから、「私は生きますよ死ぬまで、」と決意表明をしている。井出孫六も手記を読んで感動したに違いない。

井出孫六『その時この人がいたーもうひとつの昭和史』(ちくま文庫)を読んだ。昭和の時代に起きた37の事件とそれに関与した人物たちを描く人物評伝集である。

「地下鉄男・早川徳次」、「吉展ちゃん誘惑」、「三億円強奪事件」、「三島由紀夫の自殺」、「金大中の消えた日」などに興味があり、読んでみた。事件と人物でつづる昭和史となっている力作だ。「週刊エコノミスト」の連載が単行本になったものだ。

同時代史の試みであり、井出自身の体験や感慨も随所に散りばめられており、昭和の空気を読者は強く感じることだろう。有名無名のさまざまの事件と人物をつないで、自身が生きた昭和という時代を浮き上がらせている。ドキュメントである。

明治の終焉は大宅壮一『炎は流れる』などで、明治という時代が幕をおろしたときの日本人の茫然自失ぶりが描かれている。統合の中心であった明治天皇の死によって、拠り所を失った喪失感が世にあふれたのだ2016年に読んだ朝井まかて「落陽」(祥伝社)には当時の世相が記述されていた。そして国民は「明治を生きた人間にとって天皇への万謝の念、よくぞ天皇として全うしてくださった」と感じ、同時代を伴走してくれた天皇に思いを馳せたのだ。

明治天皇の病状を巡って国民が固唾を呑んで見守ったのは有史以来初めてのことであり、二重橋前の広場に恢復のを願う人々が多数現れた。そして何かに祈っている。この姿は私もみた経験がある。それは昭和天皇の崩御のときと同じ風景だ。1989年1月7日の昭和の終焉のときにも、自粛がはじまり、世は一気に暗くなった。日本人の精神構造は変わっていない感じがする。

異色の昭和史である。丁寧な文献の渉猟収集と現場を踏破するまれにみる健脚、そして人物と事件によって時代を浮かび上がらせる洞察力には感銘を受けた。人物を視野においた歴史記述はリアルな実感をもって時代の相がみえる。いつかこういう本を書いてみたいものである。

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