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「名言との対話」5月25日。佐原真「人間が始めた戦争は人間が終わらせることができる」

佐原 真(さはら まこと、1932年5月25日 - 2002年7月10日)は、日本の考古学者。

大阪生まれ。幼稚園のときに公園で拾った土器片が考古学を志す契機となる。小学校2-3年生では土器を拾い歩く少年だった。中学生で日本人類学会主催「中学生の為の人類学講座」へ参加して縄文学の創設者の山内清男東大教授に感銘を受け縄文土器の文様の研究に没入する。大阪外語大学を出て、京都大学大学院文学研究科博士課程修了(考古学専攻)。

奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センター29年間働き、1992年、60歳でセンター長。61歳、国立歴史民俗博物館副館長。65歳、館長。2001年の69歳で館長を退任。翌年死去。

「分かりやすく面白い考古学」を提唱した佐原は、国立民俗学博物館をつくり、歴史がわかるようなスタイルの展示と一般市民の博物館にすることを目指した。

1993年刊行の田中琢・佐原真『考古学の散歩道』(岩波新書)を読んだ。

現代の考古学は、多変量解析や、炭素、脂肪酸、フッ素による年代確定ができるようになっていて、自然科学が大きな影響を与えていて大きな変貌を遂げていることがわかった。現代との関係で面白い記述がある。以下、2つだけ紹介する。

ハンコについて。8世紀からハンコが使われ始める。12世紀以降は花押、14世紀からハンコが復活し、江戸時代以降はハンコ全盛の時代となる。花押とはサインである。現在のハンコ撲滅運動は花押の時代に復活ということになる。

行政文書について。紙の文書と木簡の両様使用が日本古代の行政事務処理だった。木簡は削れば何度でも使える。つまり改ざんができる。行政文書の改ざんは日本の伝統と言えるかもしれない。

日本の文章は起承転結という考え方があるが、「転」は英文の論文にはない。段落は前後とつながる。結論は段落の最初に書く。やはり起承転結は漢詩から来ており、論文の書き方にはなじまないのだ。私の文章論と同じだった。

私の関係者も出てくる。

土肥直美(琉球大学)。家族の実態を「歯」から追究する研究者。歯の幅や厚さを数字化し多変量解析で比較し血縁関係を判定する。その材料としたのは中津市の上ノ原横穴墓だ。土肥直美は九大探検部の土肥先輩の奥さんで、周年行事の特別講演で髑髏の写真を使った話を聞いたことがある。

老荘と道教研究の・福永光司が出てくる。京大退官後は故郷・中津で私の恩師でもある横松宗先生と親交を深めていた人だ。遊びは自由の精神の表れとし、佐原は怠惰と遊びの精神の復活を提唱している。

国立民俗学博物館は千葉県佐倉市にある。この博物館が開館したころ、私は佐倉に住んでいたので、家族と一緒に何度も訪れたことがある。ユニークで楽しい博物館だった。人間はなにをしてきたかを理解する手助けをするのが文化財の役割であり、博物館は社会の要請に答えるべきだという佐原はこの博物館の創業者であったのだ。

佐原真は民俗学学物館を退官後、7000冊にのぼる蔵書を沖縄県北谷町立図書館へ寄贈し、佐原文庫となっている。没後の2005年から『佐原真の仕事』(全6巻)が岩波書店より刊行されている。

戦争という現代的課題と考古学を結びつけ、「人間が始めた戦争は人間が終わらせることができる」との信念を持っていた佐原の視点は、考古学と現代の問題をつなげることだった。戦争は日本本土で弥生時代から始まった。戦争の歴史をあきらかにすることは考古学が現代に果たすべき役割のひとつと考えていた。その佐原は考古学の分野から、人間が始めた戦争は人間が終わらせようという納得感のあるメッセージを発した人だった。

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