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「名言との対話」11月20日。成田豊「リスクを背負い、率先して戦う人間だけが仲間の信頼を得る」

成田 豊(なりた ゆたか、1929年9月19日 - 2011年11月20日)は、日本の実業家。

大手広告代理店・電通グループの社長、会長、最高顧問をつとめるなど長くトップに君臨した。

韓国・天安生まれ。地位の低かった電通に入社する。不本意な就職であった。子どもの頃には、母から「広告なんか見てちゃいけません」と叱れていたし、「成田もバカだな。東大法学部を出て広告屋か」と仲間からいわれる。

高校時代は長髪のライオン、大学時代はギャンブラーといわれ存在感があった。電通入社後は太ったので成田山と呼ばれ、地方部長時以降は「鬼軍曹」として部下を叱咤激励して業績をあげつづけ、1993年に社長に就く。社長に任期中に会社の形を整えようと考え、株式上場、新本社建設、海外展開を推進し、電通を一流の会社にしていった。汐留の48回建ての新本社は「知的生産工場」との位置づけだ。

成田豊が日経新聞に書いた「私の履歴書」が本となった『広告に生きる』を読んだ。電通中興の祖・吉田秀雄、大森実、小谷正一、梶山季之、渡辺晋、浅利慶太、菅原文太、藤田田、ローマ法王、水島広雄、平山郁夫、孫正義、石川遼、、、などとの交流が出てくるが、二つのテーマでこの人をみてみよう。

まず、電通という広告代理店を「知的生産工場」と規定したことに感心する。農業時代、工業時代を経て、情報産業時代の入り口にあるとは、梅棹忠夫の説である。すべての産業は、情報産業になっていく。工業時代の残滓にすがっている企業、産業を横目に見ながら、時代を先取りし、情報産業時代の旗手として電通を強大な企業に仕上げていった慧眼と手腕は大したものだ。

もう一つは、ものごとの「根っこをつかむ」仕事術を前提としたリーダーシップ論である。

「皆が喜ぶ道を探し、同時に算段も合わせるのが広告マンの腕の見せどころだ」「電通では地位が上の人間ほど早く出社する」という言葉で、成田が関わった広告業、そして電通という企業の風土がわかる。

その上で、「仕事が本当に面白くなるのは、しかるべき地位に就き、外部からも信頼され、人や組織、カネをある程度自由に動かせるようになってからではないだろうか」と後に述懐している。成田は部長職に就いたころから、仕事ががぜん面白くなっていったのだ。やはり、責任と裁量がある地位というものの魅力だろう。地位の高低にかかわらず、「長」という役職で仕事をする醍醐味である。

上司のリーダーシップの源泉は「「この人のためなら頑張ろう」と部下に思わせられるかどうかだろう」という。そして長い間、大組織のトップをつとめてきた成田豊の「 リスクを背負い、率先して戦う人間だけが仲間の信頼を得る」という言葉は、平凡であるが、時代や組織を超えて、リーダーシップの本質だと納得する。

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