「名言との対話」4月6日。和田芳恵「平凡な男にありがちな、派手な色彩のない暮らしから、何かをやっていきたい」
和田 芳恵(わだ よしえ、1906年4月6日 - 1977年10月5日 男性)は、日本の小説家、文芸評論家。
北海道生まれ。中央大学法学部卒。新潮社入社。1941年「格闘」が芥川賞候補になる。男性である。
1942年「樋口一葉研究」。1953年より「一葉全集」7巻を塩田良平と共編する。1956年「一葉の日記」は翌年に日本芸術院賞を受賞した。
1963年小説「塵の中」で直木賞を受賞。1975年「接木の台」で読売文学賞受賞。1977年「暗い流れ」で日本文学大賞。1978年「雪女」で川端康成文学賞。1966年からは土浦短期大学教授として教鞭をとった。「和田芳恵全集」5巻は河出書房新社から出ている。晩年は老境における官能を描いた作品で新境地をひらいた。
一葉研究の著書もある青木一男の「和田芳恵小論ーー一葉日記の研究」には一葉についての興味深い論述があった。青木によれば和田は作家としての顔、研究者としての顔
編集者としての顔があった。身近にいたことで、また一葉研究の同志として和田の言葉を記録している。
「学校の先生はいい、同じことをなんべん話しても良いが、作家はそんなにはいかないからね」
「樋口夏子は自分だけの力を信じ自分だけで生きていこうとした、強い自意識に目覚めた性格の人間の一人であった」。
「樋口夏子という永遠の女性に惚れてしまったらしい」。
和田芳恵「樋口一葉伝ー一葉の日記」を読んだ。二十年近くかかった一葉研究の総決算のつもりで、一年ほどかかり、こつこつと書きおろしたものである。
和田は、一葉を勝気というよりは、敗けん気の強い娘であったとみて、この敗けん気という性格は、一葉を知る上の重要な鍵だと書いている。「一葉は、自分の身を染めたものだけを残した。一葉の日記が、豊かにあふれているのは、その占めていた位置が庶民の座であり、書かれた内容の向うに、たしかめれば、はっきりと、誰でも感じることができる庶民の生きる知恵があるからだろう」としている。
青木一男は和田芳恵自身の50歳を過ぎたころの決意も紹介している、「平凡な男にありがちな、派手な色彩のない暮らしから、何かをやっていきたい。(学士院賞を受賞したときの朝日新聞の記事から)。さまざまの賞を受賞した人の、これからを見つめた言葉に励まされる思いがする。賞は褒美ではない、励ましである。時間をかけて大器は晩成するのだ。
この論考の最後のあたりで、和田芳恵が一葉には「立志の人」という側面があるとのべていた。樋口一葉については、私も記念館を訪問したり、一葉日記を読んだりしてきた。その結果、この「名言との対話」では、先生と仰いだ「源氏物語」を書いた紫式部を念頭に置いた次の言葉を紹介している。「あの源氏物語は立派な作品ですが、私と同じ女性です。あの作品の後に、それに匹敵する作品が出てこないのは、書こうとする人が出てこないからです。今の時代には今の時代のことを書き写す力のある人が出て、今の時代のことを後世に伝えるべきであるのに」。樋口一葉はやはり立志の人だったのだ。
和田は何気なく書いた樋口一葉についての最初の一冊が批判された。その反論のために書くと言う繰り返しの中で樋口一葉がライフワークとなったのである。そして生涯の半分位を樋口一葉に費やしたことになると述懐している。この過程で和田芳恵は樋口一葉研究の第一人者となっていったのである。
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