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「名言との対話」7月23日。葛西善蔵「人間の破産、そこから僕の芸術生活が始まると思って居る」

葛西 善蔵(かさい ぜんぞう、1887年(明治20年)1月16日 - 1928年(昭和3年)7月23日)は、日本の小説家。享年41。

青森県弘前市出身。北海道、青森県の各地を転々としたのち上京。1912年に広津和郎らと同人雑誌『奇蹟』を創刊。26歳で書いた処女作『哀しき父』 には貧窮、一家離散、孤独、病気、耽酒などのどん底で、芸術的信念を貫こうとする個性のあり方を、とぼけたおかしみをもって追求する。出世作は1918年の『子をつれて』。自然主義の伝統を継いだ私小説に徹し、破滅型と呼ばれる苛烈な自虐的作品を相次いで発表した。

主著は、『湖畔手記』 、『贋物 (にせもの) さげて』 、『おせい』 以下の「おせいもの」、『蠢 (うごめ) く者』 など。

鎌田 慧『椎の若葉に光あれ―葛西善蔵の生涯』 (岩波現代文庫)を読んだ。

鎌田は高校生のとき、いつか同郷・津軽葛西善蔵について書きたいとねがっている。同じく同郷の石坂洋次郎よりも、葛西や太宰治に惹かれた。二人とも郷土津軽では鼻つまみものだった。この本は優れた評伝文学である。

葛西善三とはいかなる人物か。その描写をピックアップしてみよう。几帳面な筆跡。気弱さと、それを隠す傲岸さ。ユーモアと詩情。愚痴、クダ、嫌味。うそやごまかしや悪意を少しも持たない素朴な自然人。身を捨てた飄逸さ。衒いや欲気のない生き方。愛嬌。愛らしさ。魅力。、、、。人柄が目に見えるようだ。

貧困、病気、酒、女、などで苦しむ自分自身を接写レンズで描く。破滅型の人生を自分で実験してつくりだす。そこから芸術生活が始まるという考えだった。

・「書きながら纏めたり突込んだりして行くほかないやうな気がする」

・「事実」「実際体験」の記録にこそ真実がある。

・「仕事さへできればいい」「いい作さへ書ければ、何もいらない」

生涯で60数篇を書いた寡作の人だ。一日に一枚か二枚しか書かなかった。『葛西善三全集』第一巻の製本見本を見届けた四日後に死去している。自分の体験を書いているから、全ての小説を総合すると、自伝になる。葛西は「私小説の神様」と呼ばれている。

「人間の破産、そこから僕の芸術生活が始まると思って居る」ということになると、自身の生活を追い込むことにならざるを得ない。「自分にも厳しく、他人にも厳しく」がモットーだったから、周りの家族は悲惨な目にあうことになる。

こういった事実と体験を見つめ、それを細大もらさず、そしてユーモアをもって書きつけるから、今なおファンはいる。この本を書いた鎌田もその一人だ。文壇においては、このような無頼型、破滅型という文士の流れは、細くはなっているが、まだ続いているように思う。

1994年に発表した鎌田のこの本について「解説」を書いた荒川洋治は「人を物語るときの散文の理想」だと書いている。トヨタ季節工体験を描いた『自動車絶望工場』などのルポ・ライターとしての名が高い。私の所属しているNPO法人知的生産の技術研究会でも呼んで話を聞いたことがある。知的生産を志していたわたしは、ルポという分野に興味を持った。鎌田はルポだけではなく、1990年には『反骨 鈴木東民の生涯』で新田次郎文学賞受賞。1991年いは『六ヶ所村の記録』で毎日出版文化賞受賞している。評伝分野でもいい仕事をしていたことを初めて知った。

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