「名言との対話」11月16日。滝川幸辰「タダの酒は飲むな」
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「名言との対話」11月16日。滝川幸辰「タダの酒は飲むな」

瀧川 幸辰(たきかわ ゆきとき、1891年(明治24年)2月24日 - 1962年(昭和37年)11月16日)は、日本の法学者。

岡山生まれ。三高、京都帝大独法科卒。判事任官。1918年京都帝大助教授、ドイツ留学、1924年京都帝大教授。1933年滝川事件(京大事件)で辞任。立命館大学講師。1946年京大に復帰し法学部長、1953年京都大学総長に就任。日本刑法学会の初代理事長。

滝川は個人の人権保障を強調し、構成要件に該当することを犯罪の一般的成立要件の一つとした上で、これを犯罪論の中心的概念である構成要件論を日本に導入した。滝川の自由主義的刑法理論、客観主義刑法理論は国家否認につながると、文部省(鳩山一郎大臣)は辞職または休職を求めた。京大法学部の教授31名から副手に至る全教官が辞表を提出して抗議の意思を示し、法学部教授会は「もし一時の政策により教授の進退が左右されれば、学問の真の発達は阻害される」として抗議の決議書を文部省に伝達した。文部省はこれを一蹴し、教授会は最悪の場合は総辞職を辞さないという方針を固めたが、文官高等分限委員会は「文部大臣が監督下の大学教授を任免できないことは不都合」としたため、宮本英雄法学部長、佐々木惣一(のちに立命館大学学長)、末川博(にちに立命館大学総長)ら7教授、助教授4名、講師・助手・副手8名、そして小西総長も辞職した。学問・思想の自由およびそれを支える大学教授の身分保障という大学自治に関わる戦前日本最大の事件と言われる。これが有名な滝川事件だ。もっと大きな意味があるとして京大事件と呼ぶ向きもある。

「当時の学生大衆は満州事変をきっかけに、迫りくる戦争の足音に大きな危機感をいだいていた。瀧川罷免という思想弾圧が、さらに大きな戦争準備のための小手調べであることを鋭く本能的に嗅ぎとっていた」(藤本武)。また共産主義やマルクス主義といった嫌疑にあるのではなく、国家の現状を百パーセント肯定せず、いわゆる国家に批判的な態度をとる学者たちの思想内容に及んできたと感じる人もあった。

4年前に読んだ司馬遼太郎の『ビジネスエリートの新論語』(文春新書)では、京大総長滝川幸辰の1954年の卒業式での「タダの酒は飲むな」という訓示が紹介されていた。司馬遼太郎の産経新聞記者時代の32歳のときの作品だ。司馬はサラリーマンの原型をサムライに求めた。それは儒教がもとになっているが、ユーモアを交えた書きぶりで、楽しく読める。私が大学を卒業して就職するとき、大酒のみだった父から酒についてのアドバイスを聞いたことがある。それは「酒はツケで飲むな」だった。それを守って現金で飲んでいたが、父からは笑われた。それはツケで飲むと歯止めが効かなくなるとという意味だったことを知った。いずれにしても「酒」についての戒めは、人生航路に大きな影響がある。滝川の「ただの酒は飲むな」には、深い意味と意義を感じる。

滝川は、「汝の道を進め、人々をして語るにまかせよ」というダンテの言葉を信条としていた。そして「困難に居てしかも、結果は人並いや人並以上なものを得るというのが、真に困難に処する道であります」とも語る。「ただの酒は飲むな」という訓戒をした滝川は福沢諭吉の『福翁自伝』を愛読しており、漱石の『坊ちゃん』のような人だったという観察もある。自由闊達な福沢精神と坊ちゃんの正義感とでできているような人物だったのだろう。黒澤明監督の『わが人生に悔いなし』という映画では、滝川幸辰をモデルに大河内傳次郎が、娘役のヒロインを原節子が演じているというから、さっそくみることにしたい。

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ひさつね けいいち。