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「名言との対話」5月22日。村松喬「「教育の森」は新聞の力、新聞の自由の上に成り立っており、それは強大なのである」

村松 喬(むらまつ たかし、1917年5月22日 - 1982年11月15日)は、毎日新聞記者、作家、教育評論家。

村松は毎日新聞の学芸部長をへて論説委員となる。教育現場取材チームのキャップとなり、1965年から1032回にわたり「教育の森」を連載,し、菊池寛賞などを受賞した。のち東海大学や、芦屋大学で教授として教鞭をとった。

「この「教育の森」については、当時話題になり私も記憶している。教育現場の苦悩と問題を記した企画は多くの共感を得ていた。

『教育の森』は全12巻ある。1966年9月刊行の『教育の森 家庭と学校』(毎日新聞社)を読んでみた。

私の中学から高校時代の教育事情が記されていた。「通知簿」「学級通信」「ランドセル廃止」「PTAの現状」「近代化の動き」「学歴意識」「実力主義への動き」などの章がある。

「絶対評価よりも相対評価のほうが客観性がたかいというが、、」。「母親なら誰もが、いつも授業参観できるとは限らない」。「「学校でしつけ」「家庭で学習」これこそ本末転倒の見本」。「「義務教育はこれを無償とする」という憲法とPTA会費の矛盾」。「一般社員はどうしても子供を大学へ、幹部社員は子供を有名大学へ」。「一番から四百番まで、一番目につくところにはり出して競争させる」。

私の中学、高校時代に受けた教育そのものと問題点が記されていて、興味深く読んだ。親が子供の学歴獲得を至上とする考え方、成績を毎回1番から最下位まで張り出すというやりかたなど、今から考えると異常な世界だった。私が通った中学では、補習では各クラスも成績順に席が決まっていたことも思い出した。成績が下位の子共たちをなんども傷つけたはずだ。

こういう見出しで毎日、書く小さな欄「教育の森」の力は大きいものがあったようで、予想外の大きな支持を受けた。「教育の森」は新聞の力、新聞の自由の上に成り立っており、それは強大なのである。と村松喬は最後のページで書いている。

この「教育の森」が話題になってから半世紀たった。メディアの力は自由の上にある、ことを改めて感じる読書となった。

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