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「名言との対話」6月20日。守屋荒美雄「自ら書き、自ら出版する」

守屋 荒美雄(もりや すさびお]1872年6月20日明治5年5月15日) - 1938年昭和13年)2月8日)は、日本教育者実業家

岡山県倉敷市出身。岡山県関係の教員学力検定試験をいくつか突破し、文部省教員検定試験を合格し、文部省地理地誌中等教員免状を取得。1897年に中学教員となる。1898年、中等教員検定試験に合格する。

1905年、地図・地理教科書を出版。1910年教職を辞し教科書執筆に専念する。『動的支那地理』(1913年)の序文は同郷の犬養毅が書いている。1914年、『動的世界大地理』を刊行。

1917年、地理・地図専門の出版社「帝国書院」を創立。1920年、地図帳『帝国地図』を発刊し、テーマに沿った主題図、統計、索引、持ち運びできる大きさという現在の地図帳のスタイルをつくった。

1925年、現在の関東第一高校を創立。1938年、現在の吉祥女子中学校・高等学校を創立。

20代の1898年にはキリスト教の洗礼を受けて名前を「荒美雄」(すさびお)と改める。「ス」は最高という意味、「サビオ」は賢人という意味であるから、「最高の賢人」を自称したことになる。他人にも説明しただろうし、何よりも自身を奮い立たせる効能があっただろう。

教科書の名前に「動的」という冠をつけている。静的な教科書に対する批判をこめた言葉だ。青少年に向けてダイナミックな血沸き肉躍る、面白い教科書をめざしたのであろう。国際的な地位を高めている日本国民ににふさわしい地理教育を行うという強い志が感じられる。守屋は生涯で200冊に及ぶ教科書を刊行し、雑誌「地理学研究」の創刊するなど、日本の地理教育に大きさ足跡を残した。「地理教育の父」と呼ばれるにふさわしい業績である。

地図帳を「アトラス」というが、アトラスはギリシャ神話の神で、ゼウスに破れ、世界の果てで天空を背負う刑に処せられたことに因んだネーミングである。

守屋は1872年(明治5年生まれ)である。因みに同年生まれの著名人の没年を調べてみた。樋口一葉は明治の日清戦争直後の1896年に24歳で没している。守屋自身は戦前の真珠湾攻撃の3年前の1938年で65歳。佐々木信綱は戦後の東京オリンピックの前年の1963年で91歳。平櫛田中は第2次オイルショックの1979年で107歳。いずれも同年生まれであるが、生きた時代が全く違う感じがする。

さて、「地理・地図」を生涯のテーマと定めた守屋荒美雄は、若い頃から「最高の賢人」と自負するだけあって、自ら教育現場で工夫し尽くした教科書を執筆しながら進化させ、ついには教科書を発刊する出版社を創設して自ら教科書を進化させていった。そしてその延長線上に、思う存分教育に当たれるように、中学校・高等学校までつくってしまった。

「自ら書き、自ら出版する」の前に、「自ら学び」を置き、途中に「自ら教え」、後に「自ら導く」を置いたらどうか。守屋荒美雄は、地理教育を生涯のライフワークと定め、「自ら学び、自ら教え、自ら出版し、自ら導いた」、志の人である。


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