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「名言との対話」4月19日。茂木七郎右衛門「時運に竿さすものは栄え逆ふものは亡ぶ」

六代 茂木 七郎右衛門(ろくだい もぎ しちろうえもん、旧名・兵三郎1860年3月16日万延元年2月24日) - 1929年昭和4年)4月19日)は、日本の醤油醸造家実業家資産家、千葉県多額納税者。野田醤油(現・キッコーマン)初代社長。

江戸川と利根川にはさまれて水運の便に恵まれた千葉県野田市は、江戸へ向けての醤油生産の基地となった。1661年には高梨兵左衛門、1662年には茂木7左衛門が味噌製造を始める。1764年には茂木家は醬油製造も手掛ける。文化文政時代には関西の下り醤油を野田・銚子の関東醤油が圧倒する。江戸まで10日から半月かかる銚子醤油に対し江戸川の開削で8時間で運べる野田署油が優位に立った。

1917年には茂木・高梨一族が中心となって野田醤油が設立された。ライバル同士8家が結集しのだが、1家から1世代で1人だけが入社できるという仕組みにしている。これが現在のキッコーマン株式会社である。その初代社長が6代目茂木七郎右衛門である。

その後、この会社は、養子の茂木啓三郎(1899-1993年)によって集合体であった体制を近代化する。1962年から1974年まで社長をつとめた啓三郎は、アメリカ合衆国に工場を建設するなど醤油事業を海外で成功させ、業容を拡大し、個人醸造家の集合体であった企業を近代化し業界のトップにした。「健全な思想と厳しい倫理観をもち、その厳しさに耐えながら、なおかつ健全に運営することこそが経営者の使命である」と語っている中興の祖である。

その次男である茂木友三郎(1935年生まれ。10代目)は、「企業の重要な役割に一つは、人々の持つ欲求を有効需要に変えることである」というドラッカーに心酔する。そしてアメリカのビジネススクールで学び、キッコーマンをグローバルブランドに育て上げた。

キッコーマンは頭打ちの醤油から、「つゆ」と「たれ」の開発に成功し、1世帯当たりの支出で「つゆ・たれ」が「しょうゆ」を上回る時代にを演出し、売り上げ5000億を超える、事業利益500億円を超えるビッグビジネスになっていく。

現在の中野祥三郎社長は、2023年4月19日(本日)の日経新聞の「私の課長時代」で、「原価の見える化」「利益重視に転換」などを推進したと語っている。

私は2010年の上海万博を訪ねた時、キッコーマンの大豆を使った事業の意義についての説明に感銘を受けたことがある。また、茂木友三郎氏には、私が講師をつとめたセミナーで野田一夫先生経由でゲスト講師をお願いし、来ていただいたこともある。

さて、初代社長茂木七郎右衛門の「時運に竿さすものは栄え逆ふものは亡ぶ」以来、「時運」、つまり時代の流れに敏感な社風が継続している感を深くする。創業の精神は、常に戻る原点なのだ。


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