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「名言との対話」 11月21日。三原脩「覇権を握るのは難しい。覇権を持続することはさらに難しい。しかし一度失った覇権を奪回することはさらに難しい。」

三原 脩(みはら おさむ、1911年11月21日 - 1984年2月6日)は、のプロ野球選手監督球団経営者

香川県仲多度郡神野村(現:まんのう町)出身。選手の調子・ツキを見逃さない慧眼の持ち主で、周囲の予想を超える選手起用・戦術で知将とも呼ばれたプロ野球の監督である。

セ・パ両リーグで日本シリーズ制覇、3球団での優勝、監督として最多の3284試合の采配という記録の持ち主である。だが、三原は記録よりも記憶に残る監督だった。

攻守走の三拍子そろった選手ではなく、代走、代打、など一芸に秀でた「超二流」を縦横に使った采配が見事であった。アテ馬偵察メンバー)やワンポイントリリーフなどの発明者であり、アイデアマンであった。こういう人であったことから、三原には名言が多い。

「野球は筋書きのないドラマである」

「監督はゲームに勝てる雰囲気を醸成し、技術・精神をつねに調整するいわばエンジニアである」

「タイプの違った二人の選手の長所をうまく組み合わせて起用すれば、一人のスーパースターに匹敵する戦力が生まれる」

「弱小チームを強くするのは男子の本懐である。ただし、チームを強くするのは監督ではなく、球団の姿勢だ」

野村克也『私が選ぶ名監督10人 采配に学ぶリーダーの心得』(光文社新書)を読んだ。名監督野村が評価しているのは、三原水原茂鶴岡一人川上哲治西本幸雄の5人だけである。10人の監督の中で三原は「情感」で選手を動かす監督に分類されている。野村によれば、三原は「人心掌握術」と「采配や選手起用の引き出し」が多くあった。世間からは「三原魔術」「三原マジック」と呼ばれている。

三原を語るにはライバル水原茂を語らなければならない。二人は高松中学、早稲田大学出身の三原武蔵と、高松商業慶應出身の水原小次郎といわれた永遠のライバルだった。

水原の巨人監督に就任にもなって九州の西鉄に移り4年目でパリーグ優勝。その後、鉄腕・稲尾、中西・豊田・大下の強力打線で、3連敗後の4連勝で巨人に雪辱を果たし、3年連続日本一を獲得する。6年連続最下位だった大洋監督になると、1点差勝負に徹し、1年目で日本一になる。この業績で菊池寛賞を受賞している。近鉄監督時代には永淵、ヤクルト時代には外山を投打二刀流で起用して成功している。

三原・水原の二人の物語は、プロ野球ファンの注目の的だった。実力の拮抗した好敵手の存在があったため、覇権を握ってはすぐにライバルに追いつかれ、失った覇権を取り戻すにはそれまでの努力以上が要求される。近代以降の世界の歴史においても、「覇権」を巡るこの言葉は当てはまる。三原の多くの名言の中でも、ライバルとの「覇権」をめぐるこの言葉は、選手、監督、オーナーの世界を歩いてきた苦労人・三原のとどめの名言だ。


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