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「名言との対話」7月2日。桂歌丸「落語を残すのは落語家の責任。落語のお客様を残すのも落語家の責任」

歌丸(かつら うたまる1936年昭和11年〉8月14日 - 2018年平成30年〉7月2日)は、日本落語家。本名は椎名 巌(しいな いわお)。享年81。


神奈川県出身。小学校4年生には落語家になると決めていた。中学時代に5代目春風亭柳昇の落語を聞き、決意を固める。

中学3年生時に古今亭今輔に入門、その後に四代目桂米丸門下になる。1964年に桂歌丸に改名。落語芸術協会第5代会長。

1968年の「笑点」のテレビ放送開始から大喜利の回答者であったが、五代目三遊亭円楽の後を受けて、半世紀以上の長寿の人気番組「笑点」の三遊亭円楽の降板後の2006年の70歳から第5代司会者として活躍した。歌丸は茶の間の人気者であった。

私もこの人の味のある笑いを長い間楽しんだ。歌丸は2016年に80歳での「笑点」引退後には、終身名誉司会の肩書きをもらっている。この功績で2016年に文部大臣表彰を受けている。

2018年にテレビで死去のニュースを聞いたのは、旅行中の広島県厳島だった。翌日の朝日新聞では、一面には逝去の記事と天声人語での紹介、そして社会面には評伝が載っていた。また、黒柳徹子の「徹子の部屋」は緊急追悼番組で、1982年の46歳時の放送から、49歳、56歳、66歳、69歳、76歳、78歳、そして2016年の80歳までの7回の映像を流していた。

大喜利歌丸で終わりたくない。落語家になりたい」と志した桂歌丸は、40歳前後から古典落語に身を投じ、江戸・明治期に活躍した名人である、落語中興の祖・三遊亭円朝作の長尺の怪談、人情噺を現代に蘇らせた。

今回は「ユーチュブで「紙入れ」を聴いた。川柳と落語は縁が深いとして、いくつか紹介している。一番多いのは「間男」ネタだ。「町内で知らぬは亭主ばかりなり」「間男と亭主抜き身と抜き身なり」「間男は亭主の方が先に惚れ」などを落語の枕に使うそうだ。

その結果、最終的に「笑点歌丸」から、「円朝物の歌丸」になった。「慌てず、急がず、自分のペースで」、自分の道を歩いた勉強家である。長編落語には体力が要るが、最後は36キロまで体力が落ちていたことを最後の映像で語っていた。大変だったろう。

この映像の中で、噺家歌丸で終わりたいと語って生涯現役を貫た歌丸は「落語を残すのは落語家の責任。落語のお客様を残すのも落語家の責任」と言う。この言葉には納得させられた。

大きく成功しても、それに甘んじることなく、自分は何を為すべきかを自分に問い、落語家として大いに意義のあるライフワークに邁進した。落語のすそ野を広げる30代から続けた「笑点」の顔と、青年期・壮年時・実年期を通じて取り組んだ「古典落語」の名人の二刀流の落語家人生だった。この落語家の目標は真の落語家になることだったのだ。

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