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「名言との対話」1月9日。円谷幸吉「自己を裏切れば、その結果が成績として現われる。正しい生活、正しい精神、正しいトレーニングにより、実力が発揮される」

円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち、1940年(昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月9日)は日本の元陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。

1964年の東京オリンピック最終日のマラソンで、ゴールの国立競技場に2位で戻ってくる。だが、「男は後ろを振り向いてはいけない」との父親の戒めを守り気がつかず、トラックでイギリスのヒートリーに最後に追い抜かれ、銅メダルを獲得し日本中が湧いた。金メダルはアベベ(エチオピア)だ。円谷は次の目標を「メキシコシティオリンピックでの金メダル獲得」と宣言した。しかし無理を重ねたたため、腰痛が再発し、病状は悪化して椎間板ヘルニアを発症する。最後は自殺する。享年27。

2015年に関西のテレビ出演のため、円谷幸吉のことを知る必要があり、東北新幹線で新白河、そこから乗り換えて須賀川市へ向かったことがある。 須賀川はウルトラマンの円谷英二監督の故郷で、駅前にはウルトラマンの像が建っていた。円谷幸吉メモリアルホールに向かう、

地元の福島民報の10月22日は一面で「あっぱれ円谷、高々と日の丸」とある。夕刊でも円谷の記事で埋まっていたが、「中国、ウラン使用 米原子力委 核爆発実験で発表」という記事や、「フランス EEC脱退を警告 ドゴール大統領」などの記事も目に付いた。そういう時代だったことがわかる。円谷は色紙を頼まれると多くのばあい「忍耐」と書いた。結婚を考えた女性もいたのだが、上官の反対でつぶれてしまう。

円谷の遺書が話題になった。「父上様母上様三日とろろ美味しうございました。」から始まり、近親者への謝辞と激励、そして最後は「父上様母上様 幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まる事なく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様のそばで暮らしとうございました。」で終わる。涙なしには読めない遺書である。三島由紀夫や川端康成が、激賞していた。

『栄光と孤独の彼方へ 円谷幸吉物語』(青山一郎)を読了。努力、忍耐、重圧、体の不調、失恋、、、。また沢木耕太郎『敗れざる者たち』(文春文庫)の中の円谷幸吉を描いた「長距離ランナーの遺書」は、最初は次の問いで始まる。「長距離ランナーは、果たして「走れなくなった」からといって死ぬことができるのか?」「円谷幸吉とその死の間にある亀裂をこの手で埋めてみたい、とぼくは思った」。最後は、次の問いで終わる。「もし、アベベの足の状態を円谷が知ってたとしたら、円谷は果たして死んだであろうか、と」。

冒頭で紹介した「正しい」を連発する言葉も、生真面目で努力家であった円谷幸吉の人柄と人生観をほうふつとさせる。自衛官の円谷は国家プロジェクトで期待され抜き差しならない立場に追い込まれてしまった。2020年の東京オリンピック選手たちの中には「楽しみます」という人もいるが、同じような感覚はまだ残っているように感じる。今度はどのようなドラマが待っているだろうか。

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