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最高の仲間と過ごした2ヶ月

3月から5月までコロナで休校となった。それまで自分達は陸上の練習をしなければならなかった。メニューは自分達で決め1人だったり友達と練習をしてきた。だがその期間は無駄ではなく、自分の弱点を磨く期間となった。そして6月。不安で学校が始まり、最初部活でミーティングが開かれた。そこで【3年生はやるかやらないかは自己判断】と顧問に言われた。ほとんどの3年生が受験勉強があるため辞めていく中、3人の3年生が残った。自分は最初から駅伝までやるつもりだったので部活を続けることにした。自分が最初部活して思ったことは皆で部活することは楽しいってことだった。また皆と部活ができると思うと胸がワクワクした。まずは代替大会に向けて、これから頑張って行こうと決意した。そして、6月7月と順調に練習を積んでいく中で自分は7月中旬に怪我した。その時自分は代替大会まで3週間あるから、一週間で治して2週間で大会に備えようと思った。だがしかし、思うようにはいかなかった。病院や色んなところに行ったが治らなかった。そして自分はこう決意する。【もう代替大会諦めて怪我治して駅伝に出ようと】これは自分は悔しかったが、そうするしか無かった。これをバネにして駅伝で良い結果をだすと決意を固めた。ギブスやエアロバイクや筋トレなどをし、怪我を治すのに専念している所だ。その期間に代替大会が訪れた。自分は出れないので見る側に回って応援してきた。自分は1500m5000m3000mSCに出る予定だったが全て棄権した。5000mでは皆楽しそうに走っていて、自分も走りたいと思った。絶対怪我治して見返してやると思った。3000mSCでは地元の高校の後輩が優勝を決め、嬉しい半分悔しい気持ちだった。自分もいつかこうなってやると思った。絶対に勝ってやると。そう思い昨日ギブスを外したがまだ痛みがあり、また整形に行くところだ。治ってくれお願いしますと願うしかない。
最後に、自分は今本当は代替大会に出て皆と部活引退したかったと思っています。でもそれはできなかった。自分は転部をし陸上部に入り、陸上が好きになりずっと陸上の事を考えてやってきた。でも怪我で報われなかった。残った3年生2人は代替大会で表彰台に登ってます。自分1人だけ登れずにいます。本当に悔しかったですし屈辱でしかありません。しかしこの悔しさを駅伝でぶつけ、見返してやる気持ちでエース区間1区で5位以内を絶対入ります!見てて下さい俺の底力を!
本当にありがとう!残った3年生。そして一緒に戦った色んな友達ありがとう。いつかまた会える日まで。最高の仲間でした。まぁ後輩まだ俺は部活に残るけどな笑笑

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