タテさんがヤクルトファンに伝えたかったこと ~アスリートデュアルキャリアシンポジウムより~
「アスリートのキャリアを考える~ADCPA2周年記念シンポジウム」に参加してきた。主催は「アスリートデュアルキャリア推進機構」。代表理事の奥村武博さんは元阪神タイガースの投手であり、元プロ野球選手として初めて公認会計士の資格を取った人でもある。
ゲストのパネリストには元阪神でもあり元ヤクルトでもある藤田太陽さん、元ヤクルトの鵜久森淳志さん、そして元ヤクルトで楽天コーチとなる館山昌平さん。
うぐさんは以前から野球選手の「セカンドキャリアサポート」をしたいという話をしていた。「セカンドキャリア」と「デュアルキャリア」の違いは何なのかというと、「セカンドキャリア」は野球を続けて引退してからさぁ次のステージへ、と切り替えるイメージ。「デュアルキャリア」というのは、人生設計としてキャリアを並行して考える。野球選手なら現役の時から先へのビジョンを持ち、多様な価値観に触れておく。先のことを考えて準備しておくことで、むしろ安心して野球に打ち込むことが出来る。そうして1年でも長く現役で輝いて欲しい、という考え方だ。
まだ定着している考え方ではない。「野球選手は野球一筋に脇目も振らず打ち込まねばならない」という風潮は確かにある。
ゲストは皆引退し、次のステージへと踏み出した3人。それぞれ別々ではあるけれども、コーチへと転身するタテさん。ロキテクノベースボールクラブで指導をし、社員としての営業もしている太陽さん、ソニー生命で営業をしながらセカンドキャリアサポートを計画するうぐさんがゲストとしてパネルディスカッションをした。
それぞれがそれぞれを紹介したり、ヤクルト当時のエピソードなども交えてたくさんの話を聞かせてもらった。タテさんはやはり一番よくしゃべるし、面白い。話すことが好きなんだと自分でも言っていた。教えることも好きなのだろう。最初主催側からの紹介では「野球教室で教えるのも上手い」と言われていた。
楽天のコーチになったくだりは、「やっぱ興味ありますよね?」という感じでいきさつを話してくれた。
過去を語り未来を語り、質疑応答もあり、シンポジウムは終わったけれども、最後にタテさんは、ファンの求めに応じてユニフォームやカードにサインをしてくれていた。
少し話がしたくて、「智さんとはもう話しましたか?」と話しかけてみた。
まだ、という返事だった。報告はしたけれども、まだ話はしていないそう。
聞いた話をどの程度SNSで発信して良いかというのを聞いてみた。
ヤクルトファンに伝えたかったこと、分かって欲しかったあたりを、何とかうまく伝えてもらえれば、と言ってくれた。
まず、根底にあるのは、自分はずっと指導者になりたかったのだということ。
大学の頃から、夢は指導者で、そのために教職も取った。大学野球に専念するために全部は取れなかったが、いずれ取り直すつもりだった。怪我でリハビリしている間には学生コーチになったこともある。
プロ野球選手になるのが最終的な目標ではなく、その先で指導者になることが自分のやりたいことなのだ。
そして、引退することは、自分で決めた。
二軍で投げることが多くなり、そのうちに自分が投げる1イニングよりも、他の投手が投げる1イニングの方が大事なのではと思うようになる。
ポストと引き換えに引退を迫られたわけではなく、自分で決めた。
9/21に引退し、9/30には球団からポストのオファーがあった。
しかし、自分がやりたいこと、ユニフォームを着ての仕事ではなかった。
後任を探す都合があるだろうから、考えた後に10/3には断った。
その時点で、球団を出る決意をした。
外から見ることで刺激にもなるし、得られることも多いはずという思いもあった。
それから10日ほどはどこにも属さないフラットな状態だった。
球団ではなく自分が窓口になるので解説やゲストなど色々な仕事ができた。
ほかのオファーもあったが、10/13に楽天からコーチの依頼が来た。
ユニフォームを着られる仕事だったので、ありがたく受けた。
楽天ありき、ではない。ヤクルトでは今現在ユニフォームを着られる仕事がなかったということなのだ。
ここは分かって欲しいとタテさんは言う。
タテさんはこうした経緯を、ヤクルトファンに説明し、伝える場が欲しかった。
でも、そうした機会がなかったのだそうだ。
だから、少しでも伝わればと話してくれた。
以前相川さんが来ただけで、情報量が倍になったことがあったという。
球団の中の知識や情報だけでなく、外に出て得る知識や情報は大きいだろうと。外に出て厚みを増していくタテさんに期待したい。
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